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石川 雲蝶(いしかわ うんちょう、1814年(文化11年)- 1883年(明治16年)5月13日)は幕末期の彫物師。 == 概要 == 1814年(文化11年)江戸の雑司ヶ谷で生まれた。本名は安兵衛。若くして江戸彫石川流の彫物師として名を挙げ、苗字帯刀を許された。 二十代で幕府御用勤めになり、「石川安兵衛源雲蝶」を名乗った。江戸での製作記録は確認出来ていない。 三条の法華宗総本山本成寺の修築のため、檀家総代の金物商 内山又蔵の招きに応じて、三国峠を熊谷の源太郎と越え、越後の国に入る。 やがて当時から鑿(のみ)などの金物の町として知られた三条へ婿養子に入り、酒井姓となった。一男一女を儲ける。現在、雲蝶は本成寺本堂脇の墓所に眠る。 越後国では、永林寺の欄間などの彫刻群や「越後日光」と言われる西福寺開山堂(現魚沼市)、秋葉神社奥の院(現長岡市)、瑞祥庵金剛力士像(湯沢町)など、多くの彫刻を各地に残した。後に三条に戻り、1883年(明治16年)70歳で死去した。法名は観具院真性日安信士。墓は三条市本成寺にある。 作品は越後に千点近く残る。弟子に北村久助、川村徳治という者がいたという。 石川雲蝶には「酒好き」「興が乗らなければ鑿を握らなかった」等様々な人物像が語られているが、写真や記録等のはっきりとした資料は無い。その彫刻の多くは色鮮やかで彫りが深く、何層にも彫り重ねられた精巧さと大胆な構図が特徴であり、それらの作品からは多識で真面目な人柄がうかがえる。 2011年(平成23年)9月17日、西福寺 (魚沼市)境内に「石川雲蝶 顕彰の像」が建立された。 この銅像は、檀家の人達の「石川雲蝶の作品(宝)を後世に譲り伝え、その功績を称えたい」との声から始まったもので、それに賛同した松田毅氏(南魚沼市出身/東京在住)が、石川雲蝶の末裔(酒井家/東京在住)探しから銅像制作・監修・設置までをトータルプロデュースし、末裔(酒井家)・地域住民・魚沼市・魚沼観光協会・銅像制作会社・檀家・西福寺、と様々な人達の協力を得て完成したものである。 2014年(平成26年)は石川雲蝶生誕200年となる。2015年12月10日、南魚沼雲蝶会(会長:中島すい子)が設立される 。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「石川雲蝶」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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