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石巻家貞 : ミニ英和和英辞書
石巻家貞[いしまき いえさだ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [こく, いし]
 【名詞】 1. volume measure (approx. 180l, 5 bushels, 10 cub. ft.) 
: [まき]
 【名詞】 1. volume 
: [いえ, け]
  1. (suf) house 2. family 

石巻家貞 : ウィキペディア日本語版
石巻家貞[いしまき いえさだ]
石巻 家貞(いしまき いえさだ、生没年不詳)は、戦国時代武将後北条氏の家臣。後に名を家種(いえたね)と改める。下野。子に康保板部岡康雄(息右衛門、板部岡江雪斎の養父)、康敬天用院がいる。
一部史料で見られる「石巻康信」も家貞と同一人物とされ、これが真実であるなら息子達と同様に北条氏康から「康」の1字を賜ったことになる。
北条氏の奉行人・評定衆や相模西郡郡代などを務めた。『北条氏所領役帳』では御馬廻衆の筆頭として321貫文の知行高が記されている。
天文2年(1533年)3月の虎印判状が初見。以降約35年間に渡り北条家が発給した様々な文書に名前がみえるが、永禄11年(1568年)6月を最後として名前がみられなくなる。永禄12年(1569年)に子の康保が評定衆になっているため、永禄11年6月から永禄12年の間に家督を嫡男・康保に譲り隠居、または死去したと思われる。
== 参考文献 ==

*『戦国の魁早雲と北条一族―北条五代百年の興亡の軌跡』新人物往来社、2005年、ISBN 4404033168

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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