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石森太二 : ミニ英和和英辞書
石森太二[いしもり たいじ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [こく, いし]
 【名詞】 1. volume measure (approx. 180l, 5 bushels, 10 cub. ft.) 
: [もり]
 【名詞】 1. forest 
: [に]
  1. (num) two 

石森太二 : ウィキペディア日本語版
石森太二[いしもり たいじ]

石森 太二(いしもり たいじ、1983年2月10日 - )は、日本男性プロレスラー宮城県多賀城市出身。闘龍門Xプロレスリング・エルドラドを経て、現在はプロレスリング・ノア所属。
== 来歴 ==
学生時代は柔道レスリングをやっていた。闘龍門に応募し、闘龍門9期生としてメキシコへ渡った。プロレスデビューは2002年5月11日、メキシコ・アレナ・コリセオでの橋本史之戦。
メキシコでの活動後、2003年1月19日東京ドームで開催されたファンタジーファイトWRESTLE-1 IIへの出場で日本デビュー、コンドッティ修司(現・近藤修司)から高速ウラカン・ラナで3カウントを奪い関係者から高い評価を得た。闘龍門X時代は佐藤秀佐藤恵兄弟と共にセーラーボーイズというユニットで活動。2003年5月11日メキシコで行われたUWA世界ウェルター級王座決定戦でスペル・クレイジーを破り、第34代王者となる。デビューしてちょうど1年で初戴冠した。2004年DRAGON GATE旗揚げ時は合流せず闘龍門に残り、新日本プロレスみちのくプロレスに参戦、2005年からはdragondoorへ合流し同団体のエース候補となった。また2005年7月からは全日本プロレスへの参戦を果たした。
2006年、ElDoradoのエースとして期待されていたが、5月17日のElDorado渋谷club asia大会を最後に退団を発表した。そして2006年4月23日プロレスリング・ノア日本武道館大会では、ノア初参戦にしてKENTAの持つGHCジュニアヘビー級王座に挑戦した。王座獲得はならなかったものの、以後はノアヘレギュラー参戦することになった。
当初はノアへはスポット参戦であったが、石森本人の並々ならぬ決意から地方大会にも参加、2006年7月シリーズより全戦参加。ノア道場で練習しており、セコンドに付くなど、ノアの若手ブランド大会であるプロレスリング・セムにも参加するなど、長らく準所属状態になっていたが、2008年1月から正式にノア所属選手となった。
2008年3月20日、DRAGON GATE大田区体育館大会にて鷹木信悟&B×BハルクからGHCジュニアヘビー級タッグ王座を奪取(パートナーはKENTA)。第9代王者チームとなる。
2009年3月、TBS番組SASUKEに出場。1stステージのジャンピングスパイダーでリタイアとなった。
2009年6月、KENTAと訣別しヒールターン、新たに金丸義信とタッグを結成。コスチュームも黄色から赤に変更し、ワイルドな風貌へイメージチェンジを図ったが、結局再びKENTAとタッグを組むことになり元の鞘に収まった(三沢光晴の事故死によるカード再編成のため)。また、レスラー活動と並行してボディビルの大会出場を目指し肉体のビルドアップに励み、7月に初めて出場したボディビルコンテストでは準優勝の成績を収めた。
2010年6月、新日本プロレスのBEST OF THE SUPER Jr.に出場。
2011年4月、KENTA・金丸義信・平柳玄藩の3人が結成した反体制勢力「NO MARCY」に対抗する為に鈴木鼓太郎青木篤志と結託して対抗ユニット「ANMU」を結成、NO MARCYと徹底交戦を繰り広げた。
2011年7月、6人タッグマッチで「左足関節外側側副靭帯損傷」で欠場。ザック・セイバー・Jr.と出場予定の「第5回日テレG+杯争奪ジュニアヘビー級タッグ・リーグ戦」を辞退し、石森の代わりにK-DOJO滝澤大志が出場した。
2012年1月、潮崎豪がANMUに加入するなど同ユニットの勢力が拡大する中、居場所を失ったことを理由にANMUを脱退。丸藤正道杉浦貴の新ユニット「丸藤軍(BRAVE)」に同月29日付けで正式加入する。
同年の日テレG+杯争奪ジュニアヘビー級タッグ・リーグには、新たにBRAVEに加わった小峠篤司と新チームを結成して出場し優勝を飾った。
その後2014年3月8日に原田大輔に敗れるまでGHCジュニアヘビー級選手権のベルトを10度防衛し、過去最多防衛回数を記録した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「石森太二」の詳細全文を読む




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