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石毛 善衛(いしげ ぜんえい、1923年5月26日 - 2014年10月24日)は、日本の競馬騎手、調教師。 1942年に日本競馬会(日本中央競馬会の前身)で騎手デビュー。1947年にトヨウメ、1958年にセルローズで、それぞれ天皇賞(秋)に優勝した。1948年に結婚するまでは「小林善衛」の名で騎乗。1964年より調教師に転じ、1998年に定年引退。日本中央競馬会調教師の石毛善彦は次男〔『調教師の本VI』p.33〕。 == 経歴 == 1923年、群馬県邑楽郡大川村(後の大泉町)に、東武鉄道の職員であった小林定五郎、きぬ夫妻の長男として生まれる〔『調教師の本VI』pp.27-28〕。近郊には地方競馬の館林競馬場があった〔。旧制館林中学1年生のころに騎手の姿に憧れ、1937年、父の知人の紹介で名騎手の評が高かった石毛彦次郎(中山競馬場)の門下に入る〔。しかし1939年、彦次郎が馬に腹部を蹴られ、35歳で死去〔。やむなく善衛は一時高木良三厩舎に預けられたのち、1941年に彦次郎の師である鈴木信太郎のもとへ移った〔。 太平洋戦争さなかの1942年9月12日に騎手デビューし、翌日に初勝利を挙げる〔『調教師の本VI』pp.29-30〕。このころは障害競走に数多く騎乗した〔。1944年に徴兵を受けセレベスに派遣されたが、終戦を経て1946年に復員〔『新版 調教師・騎手名鑑』pp.18-19〕。同年秋に正規の競馬が再開されると、善衛はその第1回開催より騎手として復帰〔。1947年秋には騎乗馬トヨウメで天皇賞優勝を果たした。なお、戦前には帝室御賞典と呼ばれていたこの競走であるが、戦後の第1回競走では皇室から賞の下賜がなく「平和賞」として開催された。この競走も当初は同様に行われる予定だったが、競走前日になって正賞である天皇楯の下賜が通達され、「天皇賞」の名称で施行された最初の競走となった〔『調教師の本VI』p.25〕。 翌1948年、鈴木信太郎の肝煎りにより、彦次郎のひとり娘と結婚。婿養子となり、石毛善衛と改姓した〔。1958年には牝馬セルローズに騎乗し、天皇賞(秋)2勝目を挙げる〔。1964年に調教師免許を取得し、騎手を引退。通算成績は日本中央競馬会が発足した1954年以降で1005戦91勝〔。 同年、中山競馬場に厩舎を開業したが、3年目の18勝を最高として以降は年間10勝前後と良績を挙げることはできず、重賞勝利も2勝に留まった。1998年、定年により調教師引退〔『調教師の本VI』p.32〕。調教師としては4512戦303勝(うち中央4446戦297勝)を挙げた。 2014年10月24日、脳出血のため死去。91歳没。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「石毛善衛」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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