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石津 謙介(いしづ けんすけ、1911年10月20日 - 2005年5月24日〔『10月20日はVAN創業者・石津謙介の誕生日です 』 2013年10月20日 FASHION HEADLINE〕)は、20世紀に活動した日本のファッションデザイナー。「ヴァンヂャケット(VAN)」の創業者〔『石津謙介(いしづ けんすけ)とは > 石津謙介 いしづ-けんすけ 』 2009年 講談社『デジタル版 日本人名大辞典+Plus』 コトバンク〕。高度経済成長期にあたる1960年代の日本に登場した男性ファッション「アイビールック」の生みの親で、“メンズファッションの神様”と呼ばれた〔『格好よかった昭和 東京オールウェイズ60's』 : “ 若者ルックを創った男 > 若者たちに熱狂的に受け入れられたアイビー” 松本卓 2009年 アスキー・メディアワークス ISBN 978-4048675758〕。日本メンズファッション協会最高顧問。岡山県岡山市出身。 == 経歴 == 岡山師範学校附属小学校から旧制第一岡山中学(現・県立岡山朝日高校)を経て、明治大学商科専門部に入学。スポーツ万能であるとともに流行の先端をいく遊びに長け、明大在学中はオートバイ・クラブ、自動車部、航空部などを創部した他、ローラースケート、乗馬、水上スキーなどにも興じた。また、現在の金額にして約40万円程度にもなる背広を誂え、当時最先端の流行・風俗を楽しむという学生生活を送った。 明大卒業後は実家の紙問屋の経営を引き継ぎ、グライダーの教官などもしていたが、ファッションへの造詣が深く、当時の中華民国・天津で服飾関連の仕事に従事した後、戦後はファッションメーカー・レナウンに勤務。1951年に独立し、「VAN」ブランドとして知られる石津商店(「株式会社ヴァンヂャケット」の前身)を大阪市南区に設立。特にブレザーとボタンダウンシャツをベースとした学生のファッションスタイルを「アイビールック」として紹介し、若者のファッション文化に改革をもたらした。さらに銀座にある「みゆき通り」をそれを着た若者で埋め尽くす「みゆき族」まで登場した。 また1964年東京オリンピックの日本代表選手団の赤い公式ブレザーや、1966年から1968年にはサンケイ・アトムズの試合ユニフォームをデザインした。また当時、国鉄、警視庁、日本航空、ヤマハなども石津デザインのユニフォームを採用した。 1978年に株式会社ヴァンヂャケットが約500億円の負債を抱えて経営破綻(その後再建)した後はフリーのファッションデザイナーとして活動する傍ら、衣・食・住のライフスタイルを積極的に提案した。 2005年5月24日、肺炎のため東京都青梅市の病院で死去。ファッションに最期までこだわり続け、寝たきりになってもパジャマを着ることを拒絶し、三宅一生デザインのシャツを着たまま息を引き取った。。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「石津謙介」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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