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『石狩挽歌』(いしかりばんか)は、作詞なかにし礼、作曲浜圭介の楽曲。1975年日本作詞大賞の作品賞を受賞。 1975年に北原ミレイが発表したシングルが最もよく知られている。 ==概要== 挽歌とはエレジー、つまり悲しみを表現したうたのことである。 石狩の海の鰊漁を舞台に、大きな夢を見て それをつかめないままに終わってしまう男、そんな男と人生をともにする女の気持ちが、鮮やかな情景とともにうたわれている。 なかにし礼自身の幼少時の体験、兄に対する複雑な気持ち、人生に対する想いが織り込まれている。なかにし礼には、15歳年上の、破滅傾向で疫病神のような兄 正一がおり、その兄が引き起こすトラブルや葛藤が人生にしつこくつきまとった。幼少時、なかにし家は貧困の中にあり、兄はバクチのような鰊漁を行ったことがあり、せっかく大漁に恵まれたのに、それで満足せず、わざわざ本州まで運んで高く売ろうとしたために、結局せっかくの鰊も腐らせてしまい、全てを失い膨大な借金だけが残ってしまった〔『昭和歌謡伝説 なかにし礼』⑧/10 〕。そして一家は離散することになった。なかにしの内にある、そうした原体験とでも呼べるようなものがこの歌には込められているのである。 ある時期、なかにし礼は作詞に行き詰まっていたが、そこに兄が現れ、兄自身が「鰊のことを書けばいいじゃないか」と言ったという〔『昭和歌謡伝説 なかにし礼』 ⑦/10 〕。そうしてこの作品は生まれた。ただし、こうした体験をただそのまま表現しただけでは なかにしの体験をしていない人の心にはすんなり響かないだろうから、聞く人と気持ちを共有できる言葉を詩に織り込んだ、といった主旨のことを なかにし礼はあるテレビ番組のカメラに向かい語っていたことがある。 小樽市の西北に位置する祝津岬にある鰊御殿の旧青山別邸(小樽市祝津3丁目63)には、石狩挽歌の記念石碑と なかにし礼直筆の歌碑がある。 === 歌い手たち === 1975年(昭和50年)から北原ミレイのシングルが出てヒット、これが最も広く知られている。 他に八代亜紀、森昌子、石川さゆり、坂本冬美、細川たかし、氷川きよし、門倉有希、水森かおり、新井英一らも歌っている。また中森明菜、舟木一夫、野路由紀子、憂歌団なども歌っている。 ヒット当時に北原の歌唱が有線放送でさかんに流れ一気に日本人の心に焼きつき、また八代亜紀もテレビで歌唱、その後も石川さゆりや坂本冬美らによるカバーなどもテレビで視聴され、近年でも氷川など若手の歌手も歌うなど、多くの歌手によって歌い継がれ聞かれ続けている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「石狩挽歌」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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