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石田 長生(いしだ おさむ、1952年7月25日 - 2015年7月8日)は日本のギタリスト。大阪府八尾市出身。 == 経歴 == 1974年、大塚まさじの録音「ザ・オリジナル・ディラン」に参加、レコーディング・デビュー。 1975年、単身渡米。メンフィスのソウル・ミュージシャンと交流する。帰国後、山岸潤史、北京一、チャールズ清水、永本忠、土居正和、ベーカー・土居、砂川正和、国府照幸とでブルースバンド「ソー・バッド・レビュー」を結成する。 1980年、砂川正和、国府照幸と「サウス・トウ・サウス」の正木五郎、藤井裕に渡辺サトル、金子マリと共に「The Voice&Rhythm」を結成。 徳間ジャパンコミュニケーションズからアルバム「ボイスればリズムる!」でデビューする。この頃、ランディ・クロフォード、オーティス・クレイ、アン・ピーブルスなど、多くの海外ミュージシャンと共演。 1984年、には正木五郎、藤井裕、国府照幸と共に上田正樹のバンドに参加する。その際、スライ・アンド・ロビーと共演。また、グループを再編したトリオによる「The Voice&Rhythm II」を編成。石田長生、正木五郎、藤井裕でアルバム「Ohh!!!」をアポロン音工からリリース。その後ロッキンタマゴというバンドを編成する。そのほか、渡辺香津美、山岸潤史との勉強トリオや、NANIWA EXPRESSの清水興。東原力哉らとセッションを行う。 1989年にCharとアコースティック・デュオ「馬呆(BAHO)」を結成。全国的に名前が知られるようになる。 1992年、メルダックからソロ・デビュー。FM802で「ボート・ハウス・ロック」がオン・エアされる。 1995年、ソウル・フラワー・モノノケ・サミットとともに被災地・神戸の避難所などで慰問演奏をする。 1996年から、活動の中心を東京へ移す。旅をテーマに全国各地をまわる「石やん一人旅」を始める。また、南米(ブラジル、アルゼンチン、ペルー)や南太平洋(サモア、トンガ、フィジー)及びジャマイカ、メキシコなどにも渡り演奏するワールドワイドな活動を展開。 2003年、3月 阪神タイガースの球団公認応援歌「嵐は西から」の作詞・作曲・プロデユースを手がける。 また同年秋に清水興、中村岳とともに活動するトレスアミーゴスとしてニューアルバム発表。また、11月小笠原諸島にてライブを行った事をきっかけに小笠原諸島に魅せられ、その後十数回に渡り渡航。ライブ活動の他、現地の人達との交流を深め、オリジナル小笠原島唄“Boninの島”を作詞作曲。 2004年、サークルKのテレビCMにトレスアミーゴスとして出演。 2006年、11月、4年半ぶり通算8枚目となるオリジナル・アルバム『Ishiyan』発表。 2007年、5月、小笠原諸島をテーマとしたコンセプトアルバム『Boninの島』発表。6月には小笠原諸島父島、母島それぞれの返還祭へ招待されゲスト出演した。島の唄の名手・大平京子と共演。 2015年3月、食道がんが見つかり、治療に専念するためライブ活動を休止し、入院〔石田長生Twitter 2015年3月2日付 〕。同年7月8日、早朝に永眠したことを石田のツイッターアカウントを通じてスタッフの名で報告した〔石田長生Twitter 2015年7月8日付 〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「石田長生」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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