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赤松 氏置(あかまつ うじおき)は、江戸時代前期の旗本。名門守護大名・赤松氏の庶流七条氏の後裔。上総国下湯江陣屋を領した。対外的には石野氏を称した。 == 生涯 == 幼少の頃は外祖父・有馬則頼に養育されていた〔『寛政重修諸家譜』巻第四百六十七〕。元服後しばらくはかつての赤松氏嫡流に倣って義利と名乗った。 文禄元年(1592年)7月、則頼の紹介により名護屋城在陣中の徳川家康と対面し〔、家康に召されて近習として仕え始めた〔。文禄4年(1595年)、上総国天羽郡・周淮郡内に2150石余を得た〔。関ヶ原の戦いでは斥候の役を務め、この功績によって伊豆国修善寺に1000石を賜った〔。慶長6年(1601年)、御使番となる〔。 慶長17年(1612年)、駿府において39歳の若さで死去〔。跡を嫡男の氏照が相続した。二男の氏信は徳川頼房(水戸藩)に仕えた〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「赤松氏置」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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