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石坂 惟寛(いしざか いかん、天保11年2月22日(1840年3月25日) - 大正12年(1923年)7月29日)は、幕末から明治にかけての医師、日本陸軍軍医。最終階級は陸軍軍医総監(少将相当官)。幼名、逸蔵。 == 経歴 == 備前国出身。赤松秀の二男として生れ、岡山藩医・石坂堅壮の養子となる。1860年(万延元年)9月、適塾に入門し西洋医学を学び、のちに岡山藩侍医となる。 1872年(明治5年)1月、陸軍軍医となり二等軍医副に任官。1875年(明治8年)11月、広島鎮台病院長に就任。1877年(明治10年)2月から10月まで西南戦争に出征。その後、陸軍本病院第1課長、大阪鎮台病院長、東京陸軍病院治療課長、陸軍軍医本部庶務課長、陸軍省医務局第1課長などを歴任し、1887年(明治20年)5月、軍医監に昇進。同年5月から翌年12月まで陸軍軍医学舎長(後の陸軍軍医学校長)を務めた。 1888年(明治21年)12月、第1師団軍医部長兼衛生会議議長となり、1894年(明治27年)8月、軍医総監に進級し第1軍軍医部長に発令され翌月から日清戦争に従軍した。1895年(明治28年)9月、台湾総督府陸軍局軍医部長となり、翌年1月まで務め5月から休職した。1896年(明治29年)12月、第4師団軍医部長として復帰した。 1897年(明治30年)3月、制度改正により軍医監(少将相当官)となった。同年9月、医務局長となり、翌年8月に休職した。1900年(明治33年)12月1日、後備役に編入され〔『官報』第5227号、明治33年12月3日。〕、1905年(明治38年)10月16日に退役した〔『官報』第6916号、明治39年7月19日。〕。 なお、参考文献には貴族院議員を務めたとの記述があるが、『議会制度百年史 貴族院議員名鑑』などには記載が無く、誤りと思われる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「石坂惟寛」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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