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祖谷山一揆(いややまいっき)は、四国国分後に蜂須賀氏(徳島藩)の阿波国支配に反対して発生した土豪層を中心とする一揆。 特に美馬郡祖谷山(現徳島県三好市)での抵抗が激しかったことから「祖谷山一揆」の名称が知られ、また特に激しかった天正13年(1585年)と元和6年(1620年)が知られている。 == 概要 == === 天正の一揆 === 阿波国、特に山間部は古くから土佐国との関係が深く、早くから長宗我部元親の支配下に入っていた。ところが豊臣秀吉の四国攻めによって元親が豊臣政権に屈し、豊臣氏の重臣である蜂須賀家政に阿波国が与えられると、兵農分離と検地の徹底を図った。これに対して従来の支配権を失うことを恐れた美馬郡祖谷山・那賀郡仁宇谷・名西郡大栗山などの土豪が一揆を起こした。 家政は山間部に重臣達は勿論のこと、自らも出陣して軍事的な弾圧を図るとともに、一部の穏健派の土豪を懐柔して切り崩しを図った。平家の落人伝説で知られ特に抵抗が激しかった祖谷山では地元の喜多六郎三郎・安左衛門父子を派遣して説得にあたらせた。最終的に一揆が収束したのは、天正18年(1590年)のことである。喜多父子は祖谷山の政所に任じられ、現地の取締にあたることになった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「祖谷山一揆」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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