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福田 和子(ふくだ かずこ1948年1月2日 - 2005年3月10日)は、日本の強盗殺人犯である。1982年(昭和57年)に殺人を犯した後、1997年(平成9年)に逮捕されるまで、約15年に及ぶ逃走劇で知られる。指名手配犯として有名になったが、長期間逃亡した動機は、以前に服役した刑務所で二度も強姦事件の被害者となったことである。 ==生涯== 1948年(昭和23年)、愛媛県松山市に生まれる。 幼くして両親が離婚、母親に引き取られ愛媛県川之江市(現:四国中央市)に移る。母親は自宅で売春宿を経営していた。その後母は漁師と再婚、来島に移るが島の排他性に耐え切れず母子で今治市に移る。愛媛県内の高校に入学するものの交際中の同級生が事故死し、自暴自棄になり3年生の1学期に退学。 18歳のときに同棲していた男性と高松市の国税局長の家に強盗に入った罪で松山刑務所に服役中の1966年(当時18歳)、第1次松山抗争で逮捕された郷田会の関係者が看守を買収し、女性受刑者を強姦するという松山刑務所事件が起き、福田はこの事件で被害者となった〔この刑務所内強姦事件は第52回国会法務委員会にも取り上げられる大スキャンダルとなったが、刑事事件として立件されなかった。また、福田を強姦した看守は事件直後自殺したため、仮に被害届提出があっても、被疑者死亡により不起訴となるケースであった。〕。さらに、福田は移監された高松刑務所でも同様の被害に遭っているが、いずれも被害届を出すことが認められなかったため、公訴時効により事件の責任追及は行われなかった。 出所後、キャバレーのホステスとして働いていた1982年、松山市内で福田の同僚だったホステス(当時31歳)の首を絞めて殺害する松山ホステス殺害事件を起こし、逃亡する(後に逮捕された夫は死体遺棄罪のみで有罪となった)。 逃亡中は幾度となく偽名を使ったり美容整形を繰り返したりするなどして全国のキャバレーを転々とする生活をしており、美容整形をしていたことが判明した際には「7つの顔を持つ女」と呼ばれた。愛媛県警察が懸賞金をかけた捜査を行い、公訴時効が成立する21日前である1997年7月29日、福井市内で逮捕された。逃亡生活は5,459日間にもおよんだ。逮捕のきっかけは公訴時効成立が近づき大々的にワイドショーなどで報道されたために社会的関心が高まったことにあった。 逮捕後、岡山駅まで鉄道、岡山駅からは愛媛県警察のワゴン車で松山東警察署に移送された。松山市までの道中は女性捜査員と福田が乗車した特急サンダーバードや山陽新幹線などにマスコミ関係者が同乗し、福田の周囲を取り囲むなど大騒ぎとなった。松山東警察署で取調べを受けた後の1997年8月18日に殺人罪で起訴された。公訴時効成立まで11時間前の起訴であった。 1999年5月31日、松山地方裁判所にて無期懲役の判決が下され控訴するも、2000年12月13日、高松高等裁判所にて控訴棄却。拘置先の松山刑務所から高松刑務所に移され、収監。福田は最高裁判所へ上告したが2003年11月、上告棄却。無期懲役の刑が確定し、和歌山県和歌山市の和歌山刑務所に収監された。 2005年2月に刑務所内の工場の作業中に、くも膜下出血のため緊急入院。意識の回復の無いまま3月10日、入院先の和歌山市内の病院にて死去。。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「福田和子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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