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笠間藩 : ミニ英和和英辞書
笠間藩[かさまはん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [かさ]
 【名詞】 1. (bamboo) hat 2. shade 
: [けん, ま]
 【名詞】 1. space 2. room 3. time 4. pause 
: [はん]
  1. (n,n-suf) fiefdom 2. domain (precursor to current prefectures) 

笠間藩 : ウィキペディア日本語版
笠間藩[かさまはん]
笠間藩(かさまはん)は、江戸時代常陸国茨城郡笠間(現在の茨城県笠間市)に存在した。藩庁は笠間城
==概要==
笠間は笠間氏鎌倉時代初期から有していた地であった。しかし豊臣秀吉小田原征伐後北条氏に味方したため滅ぼされる。その後は宇都宮国綱笠間城代となったが、継嗣問題で改易される。1598年蒲生秀行宇都宮城主となった際に、笠間の地も秀行の領有とされた。
1600年関ヶ原の戦い後、1601年松平康重武蔵騎西藩から3万石で入封して立藩した。1608年に康重が丹波篠山藩へ移封されると、小笠原吉次下総佐倉藩から入封した。しかし吉次は、与力の給料の横領・与力の家臣化を企てたとして改易された。
その後一旦、笠間藩は幕府領となり、1612年松平康長が下総古河藩より入封する。1616年に康長が上野高崎藩へ移封されると、永井直勝が入封する。1622年、直勝は古河藩へ移封となり、常陸真壁藩主であった浅野長重が真壁領を合わせて入封した。1645年、次代の長直の時、播磨赤穂藩へと移封した。
浅野家の後は、井上正利遠江横須賀藩から入封した。1692年、次代の正任の時、美濃郡上八幡藩へ移封となり、本庄宗資下野足利藩より入封した。1702年、次代の資俊の時に遠江浜松藩へ移封した。井上正岑が常陸下館藩より入る。1747年、3代目の井上正経の時に陸奥磐城平藩へと移封した。日向延岡藩より牧野貞通が入る。以後笠間藩は、越後長岡藩の支藩として牧野家の領有で固定され、明治維新を迎えることとなる。
産業面では、藩主・牧野貞喜の陶業者保護政策により、笠間焼発展の礎石が築けたといえる。
藩主が代々剣術を奨励し、唯心一刀流示現流を主に二大流派とした。その結果幕末には「剣は西の柳河(筑後柳河藩)、東の笠間」としてその剛勇が知られるようになった。
幕閣要職に就任することが多かった牧野家は、財政難に苦しんだ。特に表高8万石に収穫高が届かないことがあった。江戸時代後期には、新田開発や肥料の改善などによって、諸藩では表高を大きく上回る収穫があった中で、笠間侯は厳しい状況に置かれた。
戊辰戦争では、官軍に属して陸奥会津藩攻撃に加わり、賞典禄を受け、本藩の越後長岡藩とは際だった違いを見せた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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