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『第18回NHK紅白歌合戦』は、1967年12月31日に東京宝塚劇場で行われた、通算18回目のNHK紅白歌合戦。21時から23時45分にNHKで生放送された。放送時間は出場者の増加に対応して徐々に拡大されてきたが、以後、昭和時代を通して、この放送枠で固定された。 == 概要 == *カラー放送だったが、今回もカラーのVTRは現存せず、視聴者が録画した白黒VTRが現存する。しかし、映像が全体的にぶれて大変見にくく、後年の『思い出の紅白歌合戦』(BS2)での再放送時には弘田三枝子が出演する部分など一部がカットされて放映された。ただし、九重佑三子のオープニングの宣誓場面や舟木一夫が出演する部分は映像状態が良い。この白黒VTRは現在NHKのデータベースに公式に登録されておらず、NHKの外部に登録されているものと思われる。カラー映像の本放送は、放送用ビデオテープ(2インチVTR)に収録されたと言われているが、当時のビデオテープは非常に高価で大型であるため、放送終了後に消去されて他番組に使い回された。 *今回のカラー写真は現存している。 *全出場歌手が舞台に整列したオープニングシーン、エンディングの投票数を数えるシーンなど。 *北島三郎・ザ・ピーナッツ・美空ひばりらの歌唱シーン *前回紅組司会を務めたペギー葉山と同じ理由で、九重佑三子も出場歌手選出を断念し、紅組司会に専念した(翌年の第19回は出場歌手に復帰)。当初番組側は前回の司会が好評だったペギーを続投させる方針だったが、この年ペギーが妊娠したため白紙となる。朝丘雪路はこの年出産したため不可能となり、過去2回紅組司会経験者の江利チエミは「もうコリゴリ」と発していたが改めて交渉すると「少しは年をとってお喋りできるかもしれません」とすんなり了承、だが「歌手であっても司会に専念してもらう」との旨を話すと態度一変で「歌わないのなら出場の意味はない」と結局拒否された。新たに越路吹雪、岸洋子、中尾ミエ、金井克子、九重、石井好子、水の江瀧子、南田洋子、森光子、松村満美子(当時NHKアナウンサー)、真帆志ぶき、那智わたるを候補に再検討したが、越路、岸は「歌うなら」と江利と同じ理由で拒否、当時宝塚歌劇団スターの那智については宝塚側が応じたが本人は拒否(この時点で11月9日となっていた)し、最後の頼みとして九重の起用に落ち着いた。司会発表は11月16日であり、前回より1ヶ月司会発表が遅れた〔合田道人『紅白歌合戦の舞台裏』〕。 *総合司会については、前回まで5年連続で務めた石井鐘三郎から彼の同僚である北出清五郎に交代となった。 *三遊亭圓楽が白組応援団として出演。 *ザ・ドリフターズは応援団として初出演。 *今回の会場である東京宝塚劇場の定員は2300人であったが、今回の入場券の申し込みは12万4765通であった。今回の前後しばらくは平均12万通だった。元旦の消印で年末の入場券を申し込む視聴者もいたという。そのため当日は会場前にダフ屋が出る程だった。 *今回使用したステージメインマイクホンは、司会者・歌手用共にSONY PC-2。 *前回、今回にあった「例え歌手であっても組司会に専念してもらう」というNHKの方針は翌年の第19回で崩れることとなり、翌年では水前寺清子・坂本九がいずれも出場歌手兼任で組司会に起用された(なお、同回で九重の紅組司会続投案もあった)。 *今回まで6年連続で白組司会を務めた宮田輝は翌年と第20回(1969年)〔この2回いずれも白組司会は先述の坂本が担当。〕は総合司会に起用されたため、連続での白組司会担当は今回で一旦ストップしたが、3年後の第21回(1970年)で坂本に替わって白組司会に復帰している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「第18回NHK紅白歌合戦」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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