翻訳と辞書
Words near each other
・ 第1次王子の乱
・ 第1次産業
・ 第1次田中角栄内閣
・ 第1次田中角榮内閣
・ 第1次石油ショック
・ 第1次石油危機
・ 第1次石油危機不況
・ 第1次臨時行政調査会
・ 第1次若槻内閣
・ 第1次英蘭戦争
第1次西園寺内閣
・ 第1次西成暴動
・ 第1次護憲運動
・ 第1次近衛内閣
・ 第1次近衞内閣
・ 第1次釜ヶ崎暴動
・ 第1次長州征伐
・ 第1次長期滞在
・ 第1次防衛力整備計画
・ 第1次鳩山一郎内閣


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

第1次西園寺内閣 : ミニ英和和英辞書
第1次西園寺内閣[だい1じさいおんじないかく]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [だい]
 (n,pref) ordinal
: [つぎ]
  1. (n,adj-no) (1) next 2. following 3. subsequent 4. (2) stage 5. station 
西 : [にし]
 【名詞】 1. west 
: [その]
  1. (n,n-suf) garden (esp. man-made) 2. park 3. plantation 
: [てら]
 【名詞】 1. temple 
: [うち]
 【名詞】 1. inside 
内閣 : [ないかく]
 【名詞】 1. cabinet 2. (government) ministry 

第1次西園寺内閣 : ウィキペディア日本語版
第1次西園寺内閣[だい1じさいおんじないかく]


==概要==
日露戦争中に桂太郎との間で交わされた約束によって立憲政友会総裁である西園寺公望が後継に就任した(なお、この禅譲は元老の干渉を恐れた桂が事前に西園寺の後見人である伊藤博文井上馨の許可を取ったのみで、元老会議は召集されなかった)。だが、桂と元老は人事や政策に条件を付けて制約をかけ、西園寺も自分の両腕と言える原敬松田正久の2人だけを入閣させる条件で折り合った。桂はこの内閣の後見人を自負して、政権運営にまで関与しようとしたために内務大臣原敬との微妙な政治的駆け引きを行うこととなる。
鉄道国有化第3次日韓協約日露協約日仏協約の締結など、山縣有朋ら元老や桂の意に沿った政策を遂行する一方で、山縣の支持基盤である内務省改革のために郡制の廃止を計画して失敗したり、貴族院議員の入閣を実現させるなど、政党政治実現に向けた努力は続けられた。ただし、閣内では政友会は少数派であり閣内は円滑ではなかった。成立から2ヶ月後に加藤高明外務大臣が鉄道国有化に反対して辞任(ただし、実際には健康問題が絡んでいたとされている)、続いて山縣伊三郎逓信大臣阪谷芳郎大蔵大臣が鉄道予算の問題で対立して共に辞表を明治天皇に提出しようとした際には、両名を天皇の前に連れてくるだけの西園寺までが辞表を提出してしまい、原と寺内正毅陸軍大臣が必死に説得して西園寺の辞表のみを撤回させる騒ぎも起きた。第10回衆議院議員総選挙において過半数に迫る187議席を獲得したものの、政友会の基盤が確固たるものになることを警戒した山縣有朋から財政政策の不備と社会主義取締の緩さを問題視する上奏が行われた。これを松田(蔵相)と原(内相)の更迭要求と見た西園寺はこれを機に総辞職をすることとなった(近年では、桂による反政友会工作の発覚や井上馨による増税による財政再建要求が実現困難であったことも原因として挙げられている。なお、原たちは総辞職の上奏が行われるまでその事実を知らされていなかった)。
だが、閣内少数派であったとは言え、政友会党員が閣僚の殆どを占めながら終始混乱で終わった第4次伊藤内閣と比較すれば、官界や貴族院にも支持勢力を形成出来た事など、政友会にとっては大きな成果も伴った。なお、徳富蘇峰は「(西園寺は)仏(桂)を頼んで地獄(総辞職)に落ちた」と評し(『大正政局史論』)、西園寺の度を越えた「盟友」桂への依存が政権崩壊の真の原因と評している。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「第1次西園寺内閣」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.