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丙型海防艦(へいがたかいぼうかん)は、日本海軍が第二次世界大戦において運用した海防艦の艦級である。主に船団護衛に用いられた。基本計画番号はE21b。量産性を最重視し、それまでの日振型・鵜来型よりも、さらに小型化・簡略化を推し進めた艦級である。なお「丙型」の名称は計画時の呼称であり各書籍などで普遍的に用いられているもの〔海人社刊 世界の艦船 増刊第45集『日本海軍護衛艦艇史』、潮書房刊 丸スペシャル 日本海軍艦艇シリーズNo. 29『海防艦』など。〕だが、海軍が定めた艦型名は第一号型海防艦である〔海軍大臣官房発行『内令提要』第13類「艦船」の【艦艇類別等級】(昭和18年12月22日付 内令第2776号に係る改訂分以降に収録)および本艦型艦名の加除に係る各内令による。〕。同型艦は56隻が竣工した。 == 概要 == 日本海軍は、第二次世界大戦の後期に、大量の護衛艦を必要としていた。択捉型以降、対潜・対空性能および量産性を重視した海防艦を建造しようと努力し、かなり簡略化が進められた日振型・鵜来型を建造するに至った。しかし戦況の悪化に伴い、それ以上の護衛艦艇の増強が求められたため小型化を更に推進、艦型もさらに簡略化し量産性に適した艦を建造することとなった。 設計は、鵜来型海防艦とほぼ同時期の1943年3月頃に開始されている。機関は、生産が比較的容易な方であった艦本式23号乙型ディーゼルを搭載した。本艦級ではこれを2基搭載したが、合計出力が1,900馬力しかないために、最高速度は鵜来型より低下、16.5ノットとなった。ただし、対潜兵装は充実しており爆雷搭載量も120個と多い。ただ小型化により燃料搭載量、居住性が著しく低下し、遠洋航海は困難となった。 艦の名称は一番艦が第一号海防艦と命名され、その後は奇数番号が付けられている(偶数番号は丁型海防艦へ付けられた)。艦政本部監督の下、三菱重工業および日本鋼管を中心に建造が進められ、のちに更なる増産のため、新潟鉄工所などの中堅メーカーにまで建造が委託された。とくに日本鋼管は、艦政本部4部員の遠山光一海軍技術中佐(戦後、日本鋼管副社長)、5部員の魚住順治海軍少佐(戦後、海上自衛隊海将、日本鋼管顧問)、日本鋼管鶴見造船所技師の石井利雄海軍中尉の尽力で、海防艦の量産能力や品質面で他の造船所を上回る多大な成果を挙げており、丙型海防艦は艦政本部の意向により日本鋼管に大量の建造が発注された。 一番艦は1943年9月に起工し、1944年2月には竣工している。133隻の建造計画が立てられたが、53隻が戦争中に完成し、26隻が戦没。戦後に復員輸送用に3隻が完成している。戦後、掃海艦や特別輸送艦の指定を受けた各艦は「海第何号」と改称のうえ各々の任務に従事した〔昭和20年12月20日付 第二復員省 内令第12号。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「丙型海防艦」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Type C escort ship 」があります。 スポンサード リンク
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