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三頭政治(さんとうせいじ、)は、共和政ローマ末期に現れた政治体制で、共和政から帝政に移行する間に生じた3人の実力者による寡頭政治体制。非公式な政治同盟として成立した第一回三頭政治と、正式な役職として成立した第二回三頭政治がある。 当時、三頭政治(Triumviratus)と呼ばれたのは後者(第二回)のみで、後世になってから、さかのぼって前者(第一回)の方も三頭政治と呼ぶようになった。 また三人で政権運営等を行う体制の事をソビエト連邦においてトロイカ体制と呼んだ。これはロシアの三頭立ての犬ぞりもしくは馬車の事をトロイカと言う事が語源であるとされるが、実際はトロイカとは「ラテン語の3」が語源である。この呼び名は野球チームにおいても用いられたことがある(1981年 - 1983年の読売ジャイアンツ)。トロイカ体制の呼称もよく用いられる。 ==第一回三頭政治== 第一回三頭政治はガイウス・ユリウス・カエサル、グナエウス・ポンペイウス、マルクス・リキニウス・クラッススの三者によって成立した。これは、あくまで非公式なものであり、当時は三頭政治(Triumviratus)という呼称はなかった。 オリエントを平定して凱旋したポンペイウスは元老院の対応に不満を持っていた。紀元前60年、カエサルは執政官への当選を果たすために、ポンペイウスおよびポンペイウスと不仲であった騎士階級(経済界)を代表し、スッラ派の重鎮でもあるクラッススの仲裁を諮ると共に3人の間の利害を一致させた。結果としてカエサルは執政官に当選を果たし、三頭政治が結成された。 成文化された協定が結ばれたものではない。ポプラレス(民衆派)として民衆から絶大な支持を誇るカエサル、元軍団総司令官として軍事力を背景に持つポンペイウス、経済力を有するクラッススの三者が手を組むことで、当時強大な政治力を持っていた元老院に対抗できる勢力を形成した。 3人はそれぞれの権益を満たし、元老院への対抗勢力となったが、紀元前54年にポンペイウスに嫁いだカエサルの娘ユリアが死去、紀元前53年にパルティア遠征に向かったクラッススがカルラエの戦いで敗死すると三頭政治は崩壊し、紀元前52年に三頭政治側の護民官プブリウス・クロディウス・プルケルの殺害でポンペイウスと元老院は互いに接近、紀元前49年にガリア戦争で成果を挙げたカエサルを警戒して元老院最終勧告を発令、カエサルは命令に従わず軍団を率いてイタリアへ侵攻、ローマ内戦が勃発した。ファルサルスの戦いで敗れたポンペイウスは紀元前48年にエジプトで暗殺され、他の元老院派もムンダの戦いで敗北し、ローマ内戦は終結したが、カエサルも紀元前44年に暗殺された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「三頭政治」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Triumvirate 」があります。 スポンサード リンク
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