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第一大福丸型貨物船(だいいちたいふくまるがたかもつせん)は、第一次世界大戦のさ中の1916年(大正5年)から大戦終結後の1921年(大正10年)にかけて川崎造船所で建造された貨物船で、建造数の総計は75隻におよぶ。なお、一覧などの「第○大福丸」の読みは「たいふくまる」であり、「だいふくまる」とは濁らない。 川崎造船所が手持資材を活用して大量建造したストックボートのクラスの一つで、のちに、第一次世界大戦中に日本とアメリカ合衆国との間に締結された日米船鉄交換契約に基づいて日本側が建造した船舶のうち、川崎造船所の担当分船舶の一部にもなった。竣工後は一定数が契約通りにアメリカ政府およびイギリス政府などに引き渡されたほか、日本国内の海運会社にも売却された。川崎汽船や第二次世界大戦期まで存在した国際汽船は、初期の船隊に第一大福丸型貨物船を活用して経営を開始した。 本項では、主に建造までの背景や特徴などについて説明するが、隻数が膨大なうえに海外譲渡分に関しては不明な点があることから、履歴などは極力判明している事柄のみを記すこととする。 ==建造までの背景== 第一大福丸型貨物船の整備の背景には、三つの伏線がある。 第一船「第一大福丸」の竣工写真で船名表記が「大福丸」となっているため、クラス名を「大福丸型貨物船」とする書物もあるが、「大福丸」という名前の1,676トンの貨物船は、すでに1915年(大正4年)12月に川崎造船所で竣工している〔#川重社史年表諸表 pp.174-175〕。厳密には、「大福丸」の竣工時の船名は「第十大運丸」であるが〔、この船もまた、手持資材を活用したストックボートとして建造された〔#川重社史 p.79〕。よって、「大福丸型貨物船」という記述としては「大福丸」の存在を考えると正しくない。「第一大福丸」の船名表記が「大福丸」となった理由は不明である。第一大福丸型貨物船と関係のない「大福丸」が、実は第一大福丸型貨物船の整備の伏線の一つである。「大福丸」が竣工した時点では第一次世界大戦が勃発しており、船価が高騰した一方で船を一隻でも欲しい状況となって、内田信也、山下亀三郎、勝田銀次郎の三大船成金が台頭した。「大福丸」も川崎側に有利な条件で売却され、決して儲け商売とは言えない造船業では良いニュースとして扱われた〔。 二つ目の整備の伏線は、某船会社〔出典元では「ある船会社」(#川重社史 p.80)。〕からの貨物船建造依頼をめぐる話である。川崎で船価80万円で貨物船を建造させたことのある某船会社が、80万円に足が出る程度の価格と踏んで新たな貨物船の建造を川崎に依頼した〔。これに対して川崎は135万円を提示したが、某船会社は135万円では高すぎるとして川崎との話を打ち切って、別の造船所に85万円で貨物船を建造させようとした〔。振られた川崎はその話を聞いて実現性に首をかしげたが、果たして85万円では到底できないと船会社と造船所との間でトラブルとなり、結局船会社が資材を提供するという条件で完成にこぎつけた〔#川重社史 p.80〕。 三つ目は、当時の川崎造船所の稼働状況である。第一大福丸型貨物船の整備に取りかかろうとしたころの川崎造船所では、戦艦「伊勢」と貨客船「湖北丸」(大阪商船、2,619トン)、日本郵船が整備していたT型貨物船のうちの「但馬丸」、「龍野丸」および「鳥羽丸」ぐらいしか新造船工事がなく、暇を持て余していた〔#井上 p.156〕。川崎造船所の松方幸次郎社長は当時、長期にわたる海外出張中であったが、これら一連の出来事を参考に、ストックボートの建造を決意する〔。総計で96隻ものストックボートを建造したが〔、その中でも最も勢力が大きかったのが、9,100重量トン型の貨物船として建造された第一大福丸型貨物船であった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「第一大福丸型貨物船」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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