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第一次シュレージエン戦争(独:Erster Schlesischer Krieg)は、1740年から1742年にかけてシュレージエンの帰属を巡って行われたプロイセンとオーストリアの戦争。オーストリア継承戦争を構成する戦役の一つで、一連のシュレージエン戦争の始まりである。 == 発端 == 1740年10月20日、神聖ローマ皇帝カール6世が死去した。プラグマティッシェ・ザンクツィオン(国事詔書)の定めるところにより全オーストリアはその娘マリア・テレジアが相続することになったが、かねてからバイエルン選帝侯カール・アルブレヒト(後の皇帝カール7世はこの相続順位に異議を唱え、フランスがそれを支援していた。10月26日、同年5月に王位を継いだばかりのプロイセン王フリードリヒ2世(大王) は皇帝の死を知るとシュレージエンを得る千賽一遇の好機とみなし、すぐに出兵を決意した。急遽ラインスベルク宮殿に外務大臣ポデヴィルスと元帥シュヴェリーンを呼び寄せ準備を命じるが、彼らが宮殿に到着するのを待つ間に、大王はヴォルテールに次のように書き送った。「ヨーロッパの古い政治体制を一新する時が来ました」〔Giles Macdonogh『Frederick the Great A LIFE IN DEED AND LETTERS』 147頁。〕 プロイセン軍は当時ヨーロッパで最も良い状態に保たれていた軍隊で、他国に比較してずっと短い時間で出撃することができた。シュレージエン侵攻の意図もよく秘匿され、オーストリアがこれを知るのは侵攻の直前になってからだった。ベルリンの大使ボッタ・アドルノからプロイセン軍に出撃準備の様子が見られるという報告を受けてからもなお、オーストリア宮廷はプロイセンを軽視していた。それはオーストリアがプロイセンを長い間格下の同盟国として扱ってきたためであり、また大王の父フリードリヒ・ヴィルヘルム1世もよく兵を動かしていたが、彼は結局オーストリアに利用されるだけだったからである。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「第一次シュレージエン戦争」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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