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第二次アキャブ作戦(ハ号作戦)とは、1944年(昭和19年)2月に行なわれた日本陸軍による作戦。ビルマ西部海岸にある都市・アキャブ(現在のシットウェー)を進発し、インド国境付近にあるビルマ・マウンドオ近辺の英印軍部隊の殲滅を目指した。作戦目的としてもう一つ、アキャブ北方にあるインパールの英印軍を牽制する目的もあり、インパール作戦の支作戦としての性質を持っていた。 == 経緯 == ビルマ西部アキャブ地方に位置するアキャブはビルマ防衛の要となる飛行場、港湾があり、インド東端の英印軍二大拠点、インパールとチッタゴンのうち、チッタゴンにも近く、日本軍の重要拠点になっていた。1944年1月9日、ビルマ領内にあるインド国境付近の町マウンドオが英印軍に占領され、その後の英印軍の漸進により日本勢力圏からアキャブへ通じる各ルートが英印軍の襲撃と重砲射撃にさらされ、とくに渡渉点(浅瀬や河港など)の安全の確保が難しくなった。ビルマ方面軍ではアキャブ防衛のために付近の英印軍を殲滅する必要が生じたと判断、また1944年1月7日にインパール作戦の実施が大本営により許可され、インパール作戦前の陽動作戦として、1944年1月11日に第55師団長の花谷正陸軍中将によりハ号作戦(第二次アキャブ作戦)の計画準備が命令される。計画準備命令に従い、本作戦は、第7飛行師団の協力と第55師団第55歩兵団(桜兵団)を主力として計画された。中でも隷下の歩兵第112連隊(善通寺連隊・連隊長は棚橋真作大佐)は、三十一号作戦(第一次アキャブ作戦)で電撃的奇襲戦術により敵一個旅団包囲殲滅、一個師団撃破の殊勲に輝く精鋭であり、かけられた期待も大きく、日本軍の一部では桜井第五十五歩兵団長(少将)のようにチッタゴン侵攻を公言する者までいたという。 一方英印軍は、三十一号作戦による激甚なる損害から立ち直りつつあった。アラカン地方において北部山岳地域では陸路によるいわゆる援蒋ルート打通のための作戦準備を進行。これは輸送機での昆明への空輸作戦が日本の第7飛行師団の戦闘機隊と偵察機の連携による北部ビルマ山岳上空での迎撃=「辻斬り」による損害をこうむり、安定した成果が望めない状況にあることを受けて準備されていた。 アラカン南部のベンガル湾沿岸では、まず海軍が日本軍の小型舟艇の海上活動を封殺しつつ沿岸の日本軍拠点を攻撃。遠浅な海域でもあり大規模な上陸作戦にこそ到らなかったものの、アキャブの港湾機能をマヒに追い込む。一方、チッタゴンには対ビルマ攻勢に向けての準備のために多数の輸送用舟艇が集結しつつあった。 ハ号作戦はこのような状況の中計画され、第三十一号作戦の再現により沿海部や海路からの英印軍の反撃企図の覆滅をも狙ったものである。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「第二次アキャブ作戦」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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