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第二次ハリコフ攻防戦(だいにじハリコフこうぼうせん)は、1942年5月にウクライナ屈指の大都市ハリコフの周辺で行われた、ハリコフ奪還を目指すソ連軍と枢軸軍の戦いのこと。 ドイツのモスクワへの攻勢(タイフーン作戦)を防ぎ、大戦果に酔い、ドイツ軍に進撃の余力が無いと見るスターリンによって企図された攻勢の一つである。装備・熟練度とも痛手から立ち直っていないソ連軍が大敗、6月からのドイツ軍の南部戦線での攻勢(ブラウ作戦)で、ソ連軍の一方的敗走を招く原因となった。 ==東部戦線南部の状況== 1941年11月時点での南部戦線は、ロストフ・ナ・ドヌでドイツ側が突出していた。ソ連はドン川に面し、カフカース方面に通じる要衝であるロストフに攻撃を加え、ドイツはタガンロクまで引き、ハリコフ・アルチョーモフスク・タガンロクに強固な陣地を敷いた。 これに対しアゾフ海へとドイツ軍を追い詰めるため、ソ連軍は1942年1月18日にハリコフ=アルチョーモフスク間からドニエプル川目指して進撃を開始した(バルヴェンコヴォ・ロゾヴァーヤ作戦)。 だが、この作戦はドイツ軍の反撃で突出部(イジュム突出部、バルヴェンコヴォ突出部とも言う)を作るに留まり、以後クリミア以外の前線は1942年5月までドン川以西で膠着した。突出部を作った事は、ソ連にとっての攻撃の好機でもあったが、ドイツにとっても包囲殲滅の好機でもあり、両者の思惑がぶつかることになった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「第二次ハリコフ攻防戦」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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