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筆坂秀世 : ミニ英和和英辞書
筆坂秀世[ふでさか ひでよ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ふで]
 【名詞】 1. writing brush 
: [さか]
 【名詞】 1. slope 2. hill 
: [よ, せい]
 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation 

筆坂秀世 : ウィキペディア日本語版
筆坂秀世[ふでさか ひでよ]

筆坂 秀世(ふでさか ひでよ、男性、1948年2月28日 ‐ )は、日本政治家政治評論家。元参議院議員(2期)、元日本共産党中央委員会常任幹部会委員。現在は離党し政治家としての活動からは身を引いている。離党後、北海道根室市納沙布岬にあるNPO法人望郷の塔(旧・納沙布岬平和の塔)の理事長を務めた。
== 略歴 ==
1948年昭和23年)、兵庫県川辺郡六瀬村(現在の猪名川町)柏原の農家に、5人兄弟の末子として生まれる。兵庫県立伊丹高等学校卒業後、三和銀行(当時。現在の三菱東京UFJ銀行)に勤務。その傍ら日本民主青年同盟の活動を経て、日本共産党に入党。筆坂自身と同じ銀行員という経歴を持つ作家小林多喜二を尊敬していたことも、日本共産党の活動に尽力していく要因となった。
25歳で銀行を退職し〔http://www.jcp.or.jp/tokusyu/senkyo/hirei9uttae/fudesaka.html〕、日本共産党国会議員秘書となる。旧中選挙区東京一区候補、政策宣伝委員会責任者を経て、1995年平成7年)に比例区より参議院議員初当選。政策委員長となり、書記局長市田忠義病気により書記局長代行を兼務した。「日本共産党のナンバー4」と目されたこともあった。
参議院議員2期目の任期途中の2003年(平成15年)6月、セクシャルハラスメントにより議員辞職。中央委員罷免、常任幹部会委員・幹部会委員など党の要職も解任された。経緯について日本共産党は具体的な説明をせず、筆坂本人に対しても弁明の機会を与えなかった(共産党は「被害者プライバシー保護、センセーショナルな報道による二次被害の考慮」とするが、筆坂は「女性への二次被害への心配などではなく、処分変更への批判を恐れてだろう」と主張する)。そのため、さまざまな臆測を呼ぶこととなる。後に筆坂は、『週刊新潮』や著書『日本共産党』の中でこの件について語り、筆坂と秘書と女性の三人でカラオケボックスに行き、その女性の同意を得てチークダンスを踊ったことやデュエットで腰に手をまわしたことを認めている。ただ女性は楽しんでいるようだったので何故セクハラという訴えになったかよく分からないと述べ、また党の処分ははじめ「警告」にとどめることが決まっていたが、党中央委員会総会で問題にするとの匿名ファクスに慌てた上級幹部らが覆し、議員辞職・党役職解任に至ったと主張する〔筆坂(2006) p.18-20〕。そして党への打撃を小さくするため、すぐに受け入れたが、絶望は大きく、一時は自殺も考えて妻や子供に宛てた遺書を書いたと述べている〔筆坂(2006) p.20〕。
その後、中央委員会政策委員会に勤務員として復帰。機関誌前衛』に「反省文」(後に本人は「反省文を書かざるを得なくなり下手に出た」との論調を取っている)とともに経済に関する論文を掲載、一勤務員として理論面で活動していくものと見られていたが、2005年(平成17年)7月に日本共産党を離党。共産党側は、「この際に筆坂は反党的言動は取らない旨を党に対し行った」、「不破哲三に『なぜマスコミに自分の離党を伝えたのか。プライバシー侵害だ』と批判する電話をかけた」と主張している〔『週刊新潮』での筆坂秀世氏の一文について 〕。
「セクハラ事件」や党内事情について、自身の見解を論述した『日本共産党』を出版。事件については、結局は党内の派閥抗争であり、自分がそれに敗れただけだという見解を示している。その他、自身が在籍した当時の党内事情についての具体的な記述や党名・路線・政策の変更、民主党への譲歩などの提言がなされている。これに対し共産党は、『しんぶん赤旗』紙上に前議長不破哲三(常任幹部会委員)や党幹部名の反論文〔http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2006-04-19/2006041925_01_0a.html〕を掲載し、事実誤認が著しいと反論した。筆坂の出演するテレビ番組に対しても「筆坂のみを一方的に出演させた」として抗議〔http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2006-04-28/2006042802_03_0.html〕を申し入れた。筆坂が不定期に出演している『たかじんのそこまで言って委員会』(ytv)に対しても、共産党側は同様の態度をとっている。
著書『日本共産党』では「党への愛着」が残っているような記述も見えるが、2006年(平成18年)6月には、保守オピニオン誌『正論』に寄稿し日本共産党の体質を批判、財界団体からも講師として呼ばれるなど、政治問題に関わる論客として活動の範囲を広げている。参議院選挙を控えた2007年(平成19年)5月、元参議院議員の村上正邦平野貞夫と共に幻冬舎から『参議院なんかいらない』(幻冬舎新書041)を上梓した。
その後、NPO法人望郷の塔を設立、理事長として北方領土返還運動にも力を入れている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「筆坂秀世」の詳細全文を読む




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