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純愛(じゅんあい)とは、邪心のない、ひたむきな愛〔三省堂「大辞林 第二版」〕。純愛の定義としては、他に「その人のためなら自分の命を犠牲にしてもかまわないというような愛」「肉体関係を伴わない愛(プラトニック・ラブ)」「見返りを求めない愛(無償の愛)」などがある〔鈴木淳史『「電車男」は誰なのか―“ネタ化”するコミュニケーション』中央公論新社、2005年、93-97頁。ISBN 978-4120036064。〕。本項では「純愛」という語を用いた事象について記述する。 ==純愛ブーム== 2000年以降、小説や映画・TVドラマなどで始まった流行であり、代表作には以下のようなものが挙げられる〔森直人・前田智也・福田彩乃・宇野常寛 「惑星開発会議 愛のむきだし」『PLANETS vol.6』2010年、273頁。〕〔「純愛物語論-伊藤左千夫『野菊の墓』を中心に- 」高橋与四郎 (「海-自然と文化」東海大学紀要海洋学部第3巻第3号 77-85頁 2005)〕〔本田透 『電波男』 三才ブックス、2005年、207頁。ISBN 978-4861990021。〕〔宇野常寛「ポスト・ゼロ年代の想像力-ハイブリッド化と祝祭モデルについて」『思想地図〈vol.4〉特集・想像力』 日本放送出版協会、2009年、316頁。ISBN 978-4140093474。〕。 *『世界の中心で、愛をさけぶ』や『いま、会いにゆきます』『愛の流刑地』などの恋愛小説 *『恋空』『赤い糸』などのケータイ小説 *「韓流ブーム」の嚆矢である韓国ドラマ『冬のソナタ』 *インターネット上の掲示板でのやりとりを元に構成された物語である『電車男』 *いわゆるセカイ系と呼ばれる美少女ゲーム これらの流行を受け伊藤左千夫の『野菊の墓』が「元祖セカチュー!」として分析されたこともある〔。 作家の本田透によれば、これら純愛系作品のブームは、(恋愛関係が事実上金銭的な商品として取引されるかのようになって)恋愛そのものに対する期待感が低まった現代における恋愛資本主義(恋愛によって異性を獲得することが至上命題とされ、そのためのコミュニケーション能力・経済力・容姿などの優劣のみによって個人の評価が定まるような社会)の最後の悪あがきなのだという〔。 また評論家の宇野常寛によれば、主人公の恋愛関係に超越性を見出す純愛ものの物語構造は、アニメ・ライトノベルといったオタク文化におけるセカイ系作品をはじめとしてさまざまな異なる文化圏において同時期に出現しながらも、その特定のクラスタ内でのみ熱狂的な支持を受けるという偏った形でヒットしており〔、ゼロ年代における決断主義的な物語回帰(すでに絶対的な特権性を失った価値観を、それがあくまで相対的なものに過ぎないことを織り込み済みで決断的に信望すること)のひとつと考えられるという〔『ゼロ年代の想像力』94-95頁。〕。 社会学者の土井隆義は、純愛ブームの渦中にある諸作品は各々の世代ごとの異なるメンタリティによって支えられているとし、かつての純愛ものはさまざまな周囲との軋轢などの社会的障壁を克服することによって至高の愛が達成されるという構造をとっているのに対し、ゼロ年代の純愛ブームではそういった社会的要否は排斥され、反社会的でも非社会的でもない脱社会的な構造になっているとしている〔『友だち地獄―「空気を読む」世代のサバイバル』104-106頁。〕。 社会学者の阿部真大は、主にJ-POPの歌詞に注目しながら、純愛ブーム自体は1990年代初頭に始まって以後継続しているとして、1980年代・1990年代・2000年代にそれぞれにおいて若者文化における純愛の捉えられ方が変化していると論じている〔阿部真大 『ハタチの原点―仕事、恋愛、家族のこれから』 筑摩書房、2009年、67-68頁・73頁。ISBN 978-4480863973。〕。それによれば、1980年代頃までは「消費」や「軽さ」といった価値観が重視されて「純愛」は未熟さの象徴として(大人にとっての回顧の対象として)歌われていたが、1990年代に入るとそれが陳腐化して純愛がスタイリッシュに歌われるようになり、さらに2000年代に入ると純愛は手段から目的へと転化しベタに求められるようになっていたのだという〔『ハタチの原点―仕事、恋愛、家族のこれから』70-78頁。〕〔阿部真大は、この1980年代・1990年代・2000年代のラブソングの代表として、それぞれBARBEE BOYS・B'z・BUMP OF CHICKENの楽曲を挙げている。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「純愛」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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