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網野 鉦一(あみの しょういち、1934年1月30日 - 2006年1月17日)は、日本の映画監督、脚本家、映画プロデューサー、養成学校経営者である〔''網野鉦一''、Webcat Plus, 2014年5月7日閲覧。〕〔''網野鉦一''、日本映画監督協会、2014年5月7日閲覧。〕〔''網野鉦一''、東京国立近代美術館フィルムセンター、2014年5月7日閲覧。〕〔''網野鉦一''、KINENOTE, 2014年5月7日閲覧。〕〔網野鉦一氏死去 映画監督 、共同通信社、2006年1月25日付、2014年5月7日閲覧。〕。網野映画株式会社、網野学園株式会社代表〔〔。日本映画監督協会物故会員〔。 == 人物・来歴 == 1934年(昭和9年)1月30日、千葉県に生まれる〔。 1952年(昭和27年)3月、千葉県立長生高等学校を卒業、その後1956年(昭和31年)、満22歳のときに脚本家になった〔。日本映画監督協会公式ウェブサイトの網野の項目には、その6年後の1962年(昭和37年)に「新東宝映画演出部入社」と記載されているが〔、新東宝は前年1961年(昭和36年)8月31日に倒産しており、製作部門はその年の11月15日に切り離されて、ニッポン・アートフィルム・カンパニー(NAC)になっており、同年に同社が「新東宝」の名で製作したものは、2月11日公開の『俺が裁くんだ』(監督橋田寿久年、配給日活)、6月3日公開の『悲しみはいつも母に』(監督中川信夫、配給大映)の2作のみで〔1962年 公開作品一覧 399作品 、日本映画データベース、2014年5月7日閲覧。〕、現在の新東宝映画の前身である新東宝興業が映画を製作するのは1963年(昭和38年)6月22日に公開された『日本残酷物語』(監督中川信夫・小森白・高橋典)を待つことになる〔1963年 公開作品一覧 391作品 、日本映画データベース、2014年5月7日閲覧。〕。1966年(昭和41年)、フリーランスの演出家になる〔。 1973年(昭和48年)、映画製作会社の網野映画株式会社を設立、同社は同年、ベトナム戦争の戦時下にある南ベトナム政府(当時のベトナム共和国)の国立映画センターおよび国立テレビセンターとの合作を行い、網野を監督にセミドキュメンタリー的な児童劇映画『メコンの詩』を製作する〔〔〔。同作は1976年(昭和51年)に公開されている〔年鑑, p.169.〕。ひきつづき網野は、脚本家の長田紀生を監督に起用し、劇映画『ナンバーテン・ブルース さらばサイゴン』を企画・製作、同作のロケーション撮影を1974年(昭和49年)から1975年(昭和50年)初頭にかけての約4か月間、サイゴン(現在のホーチミン市)で行い、同年4月30日に同市が陥落する以前に撮影を終えている〔〔〔, 2014年5月7日閲覧。〕〔ベトナム戦争渦中で撮影された日本映画、37年ぶりにフィルムが発見され公開へ 、シネマトゥデイ、2013年2月5日付、2014年5月7日閲覧。〕。同作については、0号プリントまで完成した後に諸事情で公開されることがなかった〔〔。ロケーション撮影した地域は終戦とともに政治体制が変わり、ベトナム社会主義共和国になった。 その後、網野は記録映画を積極的に製作し、1980年(昭和55年)には山形県の通商産業大臣指定伝統的工芸品に取材した『置賜紬』等を発表した〔。着付けの学校「網野学園」(経営・網野学園株式会社)を東京都大田区西蒲田に開き、同学園を経営した〔。1988年(昭和63年)12月には著書『着つけレッスン』(グラフ社)を上梓〔、1997年(平成9年)10月13日には「帯の弛み防止具と、それを用いた帯結び方法」を発明して特許出願しており、1999年(平成11年)4月27日付で公開される等、着付けの実際の分野にも取り組んだ〔帯の弛み防止具と、それを用いた帯結び方法 、''j-tokkyo.com'', 2014年5月7日閲覧。〕。 2006年(平成18年)1月17日、午前8時37分、肺炎によるのため、入院先の東京都大田区の病院で死去した〔。満71歳没。公開されなかった映画『ナンバーテン・ブルース さらばサイゴン』は、遺族がネガフィルムと0号プリントを東京国立近代美術館フィルムセンター(NFC)に寄贈した〔〔〔。これをもとに同作の監督の長田紀生が2012年10月にデジタル編集を行って修復、改めて完成し、同作に「混血児タロー」役で出演していた磯村健治が経営する企業「プレサリオ」〔会社情報 、プレサリオ、2014年5月7日閲覧。〕が配給して2014年(平成26年)4月26日、初めて全国公開された〔〔。NFC所蔵のプリントは105分〔、公開版は99分である〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「網野鉦一」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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