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緑林軍(りょくりんぐん)は、中国の新代に活動した民間武装勢力。緑林兵とも言う。後世では、「緑林」は盗賊や山賊と同意の語として用いられている。 == 事跡 == === 緑林軍の創始と分裂 === 緑林軍は、新代に荊州を主要な活動地域とし、王莽が建てた新に反抗した武装勢力である。 新の統治の末期に、荊州江夏郡新市県で顔役を務めていた王匡と王鳳は、衆に推されて数百人の民衆の頭領となった。そこへ、馬武、王常、成丹などの浪人たちも加わり、離郷聚を攻撃した後、緑林山(荊州江夏郡当陽県)に立て篭もった。その軍勢は、数ヶ月の間に7~8千人に膨らんだという。地皇2年(21年)、荊州牧が2万の軍勢を率いて緑林軍を討伐しにきたが、王匡は雲杜(江夏郡)でこれを迎撃し、殲滅した。これをきっかけに、軍は5万人を超えたと称し、官軍も手を出せなくなった。 しかし、地皇3年(22年)に、疫病が発生して緑林軍は半数を喪失する大打撃を受け、緑林を離れて分散することになった。王常、成丹、張卬〔張卬は、『後漢書』劉玄伝によると新市軍に、同王常伝によると下江軍に合流したとされているが、本記事では後者をとる。〕は藍口聚(南郡編県)へ入って下江軍(下江兵とも言う)と号し、王匡、王鳳、馬武、朱鮪は、南陽郡に入って新市軍(新市兵とも言う)と号した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「緑林軍」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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