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羽川 藤永(はねかわ とうえい、生没年不詳)とは、江戸時代の浮世絵師。 == 来歴 == 羽川珍重の門人。姓は大岡、名は道信。大坂の人。享保から寛延の頃、漆絵や芝居絵本、浄瑠璃本などの挿絵、肉筆画などを描いた。 藤永は延享5年(1748年)の第10回朝鮮通信使来朝の様子を、「朝鮮通信使行列図」と題して漆絵と肉筆画で描いている。「朝鮮通信使来朝図」も江戸市中を行儀を正して行進する通信使の行列を浮絵に仕立てたもので、透視画法を取入れている。このような構成の絵は1740年代に流行し、図中の事物が立体的に見えることから「浮絵」と呼ばれた。この図は将軍職の交替の際などに来日した朝鮮通信使を描いたもので、轎(かご)に乗った要人とその一行が将軍への挨拶を終え、使館である浅草本願寺へ戻るために常磐橋を渡り、本町二丁目を過ぎていく情景を捉えている。藤永は異国趣味あふれる通信使の容儀や、幕を張り屏風をたてた桟敷で見物する群集の描写に重点を置いて描いており、一種の記録画としての雰囲気を湛えている。収納箱の貼紙からこの図が徳川吉宗の次男田安宗武の長男で、宝暦3年(1753年)に9歳で夭折した小次郎(孝慈院)の愛玩の作品であったことが推定される。入念な細部描写、金箔を多用した仕上げなど、本図は特に上質の浮絵で、その後に現れる奥村政信や西村重長らによる同じ主題の作品に先行するものであった。漆絵は、この「朝鮮通信使来朝図」の方を元にして描かれたものである。 他に寛延2年(1749年)に描かれた「浮絵朝鮮人の図」や、江戸谷中の感応寺(現・天王寺)の本堂天井に描かれた「竜と天人図」などが知られている(現存しないという)。また元文元年(1736年)には手芸書『押絵手鑑』三巻3冊を刊行した他、絵本『万歳武勇絵鑑』(ばんぜいぶゆうえかがみ)三巻3冊を作画、刊行している。「蚊帳脇喫煙美人図」は左手に煙管を持った取上島田の遊女が蚊帳に膝を入れながら、右手をついて振り返る所を描いており、優しく上品な作品である。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「羽川藤永」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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