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肥田 頼常(ひだ よりつね、生没年不詳)は、江戸時代後期の武士。 従五位下豊後守3000石。知行地:武蔵国榛沢、比企郡、上総国 祖先は土岐肥田氏で肥田忠政の孫、徳川秀忠旗本肥田忠頼の系。 安永5年表御右筆、天明4年奥右筆、寛政3年組頭、同4年御勘定吟味役組頭、同10年日光東照宮御霊屋普請、寛政11年(1799年)から文化3年(1806年)まで長崎奉行職、天草乱後、治安安定経済復興のため製陶所を設け天草焼、のち亀山焼を作る。在任中、ロシアのレザノフが長崎に来航、成瀬正定や遠山景晋と共に事態を無事終息。文化3年(1806年)小普請奉行、作事奉行を歴任。文化7年(1810年)勘定奉行に就任した。文化12年(1815年)西丸留守居となった。 菩提寺は臨済宗牛込松源寺(現、中野下落合松源寺) == 関連項目 == *土岐氏 *肥田氏 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「肥田頼常」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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