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良弁(ろうべん、りょうべん〔, p.969 「良辨(りゃうべん)」の項〕、持統天皇3年(689年) - 宝亀4年閏11月24日(774年1月10日))〔東大寺 良弁僧正坐像と開山堂 〕は、奈良時代の華厳宗の僧。東大寺の開山〔淑徳大学 豊島区・豊島新聞社共催 奈良遷都1300年に寄せて-良弁と東大寺- 〕。通称を金鐘行者といった。 ==生涯== 持統3年(689年)、相模国の柒部氏の出身で、鎌倉生まれと言われ義淵に師事した〔。別伝によれば、近江国の百済氏の出身で野良作業の母が目を離した隙に鷲にさらわれて、奈良の二月堂前の杉の木に引っかかっているのを義淵に助けられ、僧として育てられたと言われる〔〔相模国(神奈川県)鎌倉地方には、父親を染屋時忠をする伝承がある。染屋時忠にはまた、娘が大鷲にさらわれた伝承がある。〕。東大寺の前身に当たる金鐘寺に住み〔、後に全国を探し歩いた母と30年後、再会したとの伝承もある。しかし現在では別人ではないかとされているなど、史実であるかは定かでない。ただし、幼少より義淵に師事して法相唯識を学んだのは事実である。 さらに慈訓について学び、華厳宗の奥義を受ける〔。東山 (奈良県生駒市)に隠棲し、自ら彫刻した執金剛神像を安置して、日々鍛錬して修行にはげみ、金鐘行者の異名をえたところ、聖武天皇の耳にとまり、羂索院を賜り、これがのちに改名されて金鐘寺となった〔。 天平12年(740年)、『''華厳経'' 』の講師として金鐘寺に審祥を招いた。聖武天皇の勅により、天平14年(742年)には金鐘寺が大和国分寺に指定。天平17年(745年)に律師となる〔。天平勝宝4年(751年)には、東大寺大仏建立の功績〔〔により東大寺の初代別当となった〔東京国立博物館 光明皇后1250年御遠忌記念 特別展「東大寺大仏―天平の至宝―」 〕。天平勝宝8年(756年)には鑑真とともに大僧都に任じられる。その後、天平宝字4年(760年)8月に仏教界の粛正のために、慈訓、法進とともに、僧階(三色十三階制)を改めるよう奏上した。聖武天皇の看病禅師も務めている。〔図解仏教成美堂出版128頁〕 近江志賀の石山寺の建立に関わったことも『石山寺縁起絵巻』や〔, p.494〕、『元亨釈書』にくわしい〔, p.8-9〕。 宝亀4年(773年)には、 僧正に任命され、その年の閏11月24日没〔。東大寺開山堂には「良弁僧正坐像」(国宝)が安置されている。伊勢原市の大山寺の開基とも言われる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「良弁」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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