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色川 三郎兵衛(いろかわ さぶろべえ、天保13年11月2日(1842年12月3日) - 明治38年(1905年)2月21日)は、日本の醤油醸造家、政治家。衆議院議員(2期)。 慶応3年(1867年)、土浦の醤油醸造家、色川三中の養嗣子となり、家督を受け継ぐ。維新後は政界に進出し、県会議員を経て、明治23年(1890年)、立憲改進党から立候補し当選。衆議院議員を2期務めた。在任中、鉄道会社に働きかけて日本鉄道海岸線(現 常磐線)の敷設計画を変更させ、当時水害に悩まされていた土浦市の霞ヶ浦側に、線路の盛土を湖岸堤の代わりとして作らせたほか、逆流防止のため川口川閘門、田町川閘門の建設に出資するなど、土浦の水害対策に尽力した。なお、川口川閘門、田町川閘門は彼の死後、明治39年(1906年)に完成した。 娘婿は伊沢多喜男、外孫は飯沢匡である〔飯沢匡『権力と笑のはざ間で』57頁〕。色川武大や色川大吉も親類にあたる〔『色川大吉著作集』第4巻217頁〕。 ==脚注== 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「色川三郎兵衛」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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