|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 萩 : [はぎ] 【名詞】 1. bush clover 2. Lespedeza ・ 萩原 : [はぎわら] (n) reedy field ・ 原 : [はら, もと] 1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation ・ 誠 : [まこと] 1. (adv,n) truth 2. faith 3. fidelity 4. sincerity 5. trust 6. confidence 7. reliance 8. devotion ・ 斗 : [ます, と] 【名詞】 1. (1) measure 2. unit of volume ( 1. 8l) 3. (2) square container, e.g., a box 4. (3) square on a grid 5. cell of a grid
萩原 誠(はぎわら まこと、本名同じ〔『萩原流 ジャストミートセオリー』より、柔道整復師資格取得免許証の写真を掲載したページ より、同免許証写真を参照。「萩原 誠」の名前で平成20年(2008年)3月31日付で同資格の登録・交付を受けたことが確認できる。また、昭和48年(1973年)4月6日生まれであることも確認できる。〕、1973年4月6日〔 - )は、大阪府大東市出身の元プロ野球選手(内野手、外野手)。 からまで阪神タイガース、からまで近鉄バファローズ(から大阪近鉄バファローズ)に所属・活動していた。1994年は萩原 誠斗〔『近鉄バファローズ球団史』P107掲載プロフィール(「萩原誠」の名前で掲載)。〕、1996年から1999年は誠を登録名とした〔。「誠」時代から2001年当時の本名は服部 誠〔『'98プロ野球12球団全選手百科名鑑』(『ホームラン』1998年3月号増刊。日本スポーツ出版社発行)P147掲載「誠」プロフィール〕〔『プロ野球全選手カラー写真名鑑+観戦ガイド』2001年版P145掲載「萩原誠」プロフィール。読み仮名を「はっとり・まこと」と明記し、その下には「本名・服部誠」と明記。〕(はっとり まこと〔『プロ野球全選手カラー写真名鑑+観戦ガイド』1997年版P101掲載「誠」プロフィール。読み仮名を「はっとり・まこと」と明記し、その下には「(旧姓・萩原)」と併記(「」内は原資料より引用。本名の漢字表記は明記せず)。〕〔)。プロ野球引退後に、姓を萩原へ戻している〔。 == 来歴・人物 == 大東畷(ボーイズリーグ)ではキャプテンとして全国大会優勝。副キャプテンは谷口功一(1991年巨人ドラフト1位)だった〔中学生で全国大会優勝、高校生でも夏の甲子園優勝、輝かしい全国優勝経験をもって栄光の巨人軍ドラフト1位 :真木将樹ドリームネクスト(『Yahoo!ニュース』への転載。2013年4月5日)〕。 大阪桐蔭高等学校時代には4番打者として、3年春と3年夏に甲子園出場。春は準々決勝で敗退したが、夏は打率.688・3本塁打の記録を残し、同校の初出場・初優勝に貢献。高校通算58本塁打。 1991年のプロ野球ドラフト会議で阪神に1位指名を受け入団。背番号31、ポジションも同じ三塁手ということで「掛布(雅之)2世」、「ミスタータイガース」として期待された。ちなみにこの次年度の高校生打者のドラフトの目玉となるのが星稜高校の松井秀喜(1992年巨人ドラフト1位)で、萩原は高校生選抜チームで松井と一緒になり、松井の怪物の片鱗を見て「自分のホームランなんて松井に比べたら大したものではない」とコメントしている。 2軍ではに打点王、に首位打者を獲得したが、1軍では結果を残せなかった。さらに三塁手以外にも一塁手・二塁手・外野手などで出番増加を狙ったが、こちらも結果には結びつかなかった。 オフに江坂政明とのトレードで近鉄へ移籍したが、を最後に退団。同期入団で三塁手の中村紀洋などから刺激を受けるが活躍できず、一塁手のレギュラーも吉岡雄二に奪われた。からは社会人野球の日本IBM野洲に所属、翌年のチーム活動休止をもって現役を引退。 引退後は柔道整復師の資格を取得(2008年3月31日〔)し、整骨院を開業している〔大阪桐蔭の甲子園初出場初優勝に貢献し掛布2世と期待されてプロ入り~ 元阪神タイガース 萩原誠さん ~ :真木将樹ドリームネクスト(『Yahoo!ニュース』への転載。2013年3月3日)〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「萩原誠」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|