翻訳と辞書
Words near each other
・ 萩野志保子
・ 萩野昇
・ 萩野朋美
・ 萩野末吉
・ 萩野村
・ 萩野村 (宮城県)
・ 萩野村 (山形県)
・ 萩野村 (愛知県)
・ 萩野村 (福井県)
・ 萩野浩基
萩野由之
・ 萩野純一郎
・ 萩野脩二
・ 萩野英明
・ 萩野貞樹
・ 萩野通
・ 萩野駅
・ 萩間村
・ 萩風
・ 萩風 (駆逐艦)


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

萩野由之 : ミニ英和和英辞書
萩野由之[はぎの よしゆき]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [はぎ]
 【名詞】 1. bush clover 2. Lespedeza 
: [の]
 【名詞】 1. field 
: [よし]
 【名詞】 1. reason 2. significance 3. cause 
: [これ]
 (int,n) (uk) this

萩野由之 : ウィキペディア日本語版
萩野由之[はぎの よしゆき]

萩野 由之(はぎの よしゆき、万延元年4月17日1860年6月6日) - 大正13年(1924年1月31日)は、日本歴史学者国文学者東京帝国大学名誉教授文学博士
研究領域は幅広く、一つに、古代・近世の法制史の研究で、『日本制度通』(小中村義象と共著)・『日本財政史』・『江戸幕府職官考』等を著した。二つに、古代から中世の古典の研究で、特に『神皇正統記』や四鏡等の校訂や研究に力を注いだ。三つに、幕末維新史の研究で、渋沢栄一著の『徳川慶喜公伝』の監修(実際は渋沢は注文主に過ぎず、萩野自身が執筆した〔海音寺潮五郎 『さむらいの本懐』 文春文庫 ISBN 4167135221、93p〕)や『王政復古の歴史』を著した。ほか、萩野の郷土である佐渡島の研究や史料蒐集も行い、佐渡関係の著述も多数ある。彼の蒐集した佐渡関係史料は未刊の『佐渡群書類従』を中核に千余冊が新潟県立佐渡高等学校同窓会の「舟崎文庫」に所蔵されている。また、萩野の蔵書は九州大学附属図書館に「萩野文庫」として架蔵されている。
== 略年譜 ==
※日付は明治5年まで旧暦
* 万延元年(1860年)4月17日、佐渡国雑太郡相川下戸炭屋町(現在の新潟県佐渡市相川下戸炭屋町)に、彫刻師の萩野咲蔵の長男として生まれる。母はちゑ。幼名は平作。幼時より修教館(佐渡の官学)教授をつとめた丸岡南陔方へ出入りし、講話などを聴いた。
* 慶応2年(1866年)、円山溟北が主宰する学古塾に入門。
* 明治4年(1871年)、修教館に特待生として入学。同6年には助教。
* 明治5年(1872年
 * 4月、相川県(現在の新潟県)より「学問所生員申付候事」(特待生)の辞令を受ける。
 * 11月、大試に甲科で合格。相川県より「県学助読申付候事月給金半円」(県学教員)の辞令を受ける。
* 明治8年(1875年)10月、下戸校教導生の辞令を受ける。
* 明治10年(1877年)、上京。興亜会の支那語学校に入学、また重野安繹について国漢を修める。
* 明治11年(1878年)、帰郷し、県学教員(広間校訓導補)に復職。
* 明治13年(1880年)、三郡連合会議員選挙に立候補し当選。5月、再び上京して興亜会支那語学校に入学。
* 明治14年(1881年)、母・ちゑの願いにより帰郷。
* 明治15年(1882年)、東京大学文学部古典講習科入学。
* 明治19年(1886年)7月、東京帝国大学文科大学古典講習科国書課卒業。元老院書記生となり第三課に勤務。江戸幕府制度の編纂に関わる。また文部省嘱託として『古事類苑』外交部の編修に携わる。
* 明治23年(1890年
 * 9月、貴族院属となり、編纂課や速記課に勤務。古代法制の研究に従事。
 * 11月、國學院講師。
* 明治25年(1892年
 * 11月、学習院教授に就任し、従七位に叙せられる。
 * 12月、帝国議会図書館設立に際し国内図書の調査を嘱託。
* 明治27年(1894年)、皇太子・嘉仁親王(のちの大正天皇)の教科書として『近世国文』(2巻)を編み、東宮職へ奉納。
* 明治29年(1896年
 * 1月、高等師範学校兼女子高等師範学校教授に就任。
 * 3月、第9回尋常師範学校尋常中学校尋常高等女学校教員検定委員に就任。
* 明治32年(1899年)2月、東京帝国大学文科大学講師を嘱託される。
* 明治34年(1901年
 * 4月、日本女子大学教授に就任。博士会の推薦によって文学博士の学位を取得。
 * 9月、東京帝国大学文科大学教授に就任(東京高等師範学校教授と兼任)、国史学第二講座を担当。
* 明治35年(1902年
 * 11月、国學院研究科の指導講師を嘱託。
 * 12月、勲六等瑞宝章を受ける。
* 明治40年(1907年)7月、神社調査委員を嘱託。
* 明治41年(1908年)9月、教科用図書調査委員会委員を嘱託。
* 明治42年(1909年)11月、学術調査のため朝鮮へ出張。
* 明治44年(1911年)5月、維新史料編纂会委員を嘱託。
* 大正2年(1913年)9月、神宮皇學館評議委員を嘱託。
* 大正3年(1914年)4月、神社奉祀調査会委員を嘱託。
* 大正4年(1915年)5月、明治神宮造営局評議委員を嘱託。
* 大正5年(1916年)4月、帝国学士院会員に列せられる。
* 大正6年(1917年)6月、高等官一等に叙せられる。
* 大正7年(1918年)9月、学術調査のため満州中国へ出張。
* 大正9年(1920年)12月、勲二等瑞宝章受章。
* 大正12年(1923年
 * 3月、東京帝国大学教授、東京高等師範学校教授を定年退官。
 * 6月、宮内省御用掛に就任し、勅任官待遇で図書寮に勤務。
 * 7月、勅旨に依り東京帝国大学名誉教授の名称を受ける。
* 大正13年(1924年
 * 1月、経筵進講者控を命ぜられる。
 * 1月31日、狭心症により死去。享年65(宮内省の都合によって2月1日死去と発表)。旭日重光章

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「萩野由之」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.