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蒼梧王 ( リダイレクト:後廃帝 (南朝宋) ) : ウィキペディア日本語版 | 後廃帝 (南朝宋)[こうはいてい]
後廃帝(こうはいてい)は、南朝宋の第7代皇帝(在位:472年 - 477年)。姓は劉、諱は昱(いく)。字は徳融、小字は慧震。また蒼梧王(そうごおう)とも呼ばれる。 == 生涯 == 463年1月、劉昱は宋の湘東王劉彧の長男として建康の衛尉府で生まれた。466年10月、皇太子に立てられた。472年4月、父の明帝(劉彧)が死去すると、劉昱は皇帝として即位した。袁粲と褚淵が輔政にあたった。474年、桂陽王劉休範が江州で反乱を起こしたが、蕭道成により鎮圧された。476年、建平王劉景素が京口で反乱を起こし、これまた蕭道成に鎮圧された。477年7月、劉昱は蕭道成の手により仁寿殿で殺害された。死後、皇太后の令により蒼梧郡王に降封された。 帝位から引きずり落とされて殺害された皇帝、つまり「廃帝」であるが、南朝宋では第5代皇帝の劉子業もそうした運命をたどっているため、劉子業を「前廃帝」、劉昱を「後廃帝」と呼んで区別する。
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英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Latter Deposed Emperor of Liu Song 」があります。
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