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薬師寺 元一(やくしじ もとかず)は、室町時代後期(戦国時代)の武将。細川氏の重臣。細川政元に仕え、その偏諱を賜って元一と名乗る。通称、与一。子に国長。 薬師寺元長の実子、または養子、さらに甥とも言われる説があり、詳細は不明である。明応9年(1500年)、政元の命令により河内の畠山義英を助けて畠山尚順を破るという武功を挙げた。文亀元年(1501年)に元長が死去したため、家督を継いで摂津守護代となり、細川政元に仕えた。文亀3年(1503年)、政元の命令により、阿波細川家から細川澄元を養子に迎える交渉を果たしている〔『三好長慶』〈人物叢書〉14頁。〕。 ところが永正元年(1504年)閏3月に政元が突如、元一を守護代から解任しようとする。ところが、将軍・足利義澄がこの人事に介入して政元に命じて解任を中止させ、元一は義澄に馬や太刀などを贈っている〔『戦国期室町幕府と将軍』(山田康弘、吉川弘文館、2000年)92-93ページ〕。同年9月、赤沢朝経と共に政元を廃して澄元を擁立しようという陰謀を企て、摂津で挙兵する。しかし弟の長忠らに攻められて破れ、居城の淀城は落城して捕縛され、政元の命令で京都に送られて自害を余儀なくされた〔『三好長慶』〈人物叢書〉14頁。〕。享年28。辞世「地獄にはよき我が主(若衆)のあるやとて今日おもひたつ旅衣かな」から主君政元と男色関係にあったとも言われる〔『戦国期歴代細川氏の研究』(森田恭二、和泉書院、1994年)42ページ〕。 家督と守護代職は弟の長忠が継いだ〔『三好長慶』〈人物叢書〉14頁。〕。 == 脚注 == 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「薬師寺元一」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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