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藤原 伊衡(ふじわら の これひら)は平安時代初期から中期にかけての公卿、歌人。左近衛中将・藤原敏行の三男。 == 経歴 == 寛平9年(897年)右兵衛少尉に任ぜられた後、左兵衛少尉、六位蔵人を歴任。 延喜9年(909年)従五位下に叙爵。延喜10年(910年)宮内少輔を務める。左兵衛佐、大和権介、右近衛権少将を歴任した後、延喜17年(917年)従五位上・五位蔵人となる。延喜18年(918年)近江守、延喜22年(922年)正五位下。 播磨介を経て、延長2年(924年)従四位下・右近衛権中将に叙任され、春宮亮を兼任。左近衛中将、大和権守を経て、延長8年(930年)正四位下・内蔵頭に叙任される。承平4年(934年)美濃守に任ぜられる。また、この頃の賀茂祭関連の記事に伊衡の名が頻出している〔『貞信公記』など〕。 承平4年12月(935年1月)参議に任ぜられて公卿に列す。その後は、承平5年(935年)美濃権守、承平6年(936年)刑部卿、承平7年(937年)左兵衛督を歴任する。 天慶元年12月(939年1月)に薨去。享年63。歌人として勅撰和歌集『後撰和歌集』以下、11首が入首している。 藤原明衡撰「本朝文粋」収録の紀長谷雄「亭子院賜飲記」によれば、延喜11年(911年)6月15日に行われた酒合戦に参加した際、他の参加者が泥酔・嘔吐する中、伊衡がただ一人乱れることなく、賞として駿馬を贈られたという。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「藤原伊衡」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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