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藤原元輔 : ミニ英和和英辞書
藤原元輔[ふじわら の もとすけ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ふじ]
 【名詞】 1. wisteria 
: [はら, もと]
  1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation
: [げん, もと, がん]
  1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation 4. (2) former 

藤原元輔 : ウィキペディア日本語版
藤原元輔[ふじわら の もとすけ]

藤原 元輔(ふじわら の もとすけ、 延喜16年(916年)〔『公卿補任』による。『系図纂要』では延喜17年生まれとする。〕 - 天延3年10月17日975年11月23日))は、平安時代中期の公卿藤原北家右大臣藤原顕忠の長男。官位正四位下参議
== 経歴 ==
左兵衛少尉右衛門少尉左近衛将監といった武官や六位蔵人を経て、天慶8年(945年従五位下侍従に叙任される。のち、天暦6年(952年)従五位上、天暦10年(956年正五位下と昇進する傍ら、近衛少将や五位蔵人を務め、天徳2年(958年)には従四位下・右近衛中将に叙任されるなど、村上朝の中期以降は父・藤原顕忠の昇進に伴って、元輔自身も順調に昇進した。
応和3年(963年)従四位上、康保4年(967年)左近衛中将を経て、安和元年(968年冷泉天皇蔵人頭に任ぜられる。しかし、安和2年(969年円融天皇即位に伴って蔵人頭に任ぜられた源保光藤原為光が、翌安和3年(970年)に蔵人頭在任1年ほどで参議に任ぜられる一方で、元輔は蔵人頭を5年務めて天禄3年(972年)になってようやく参議に任ぜられ公卿に列している。元輔は時平の男系の孫では唯一公卿に列せられたが、外戚政策に成功した師輔と比べると37年も遅れ、円融天皇摂政となっていた伊尹(太政大臣)を筆頭に兼家(権大納言)・兼通(権中納言)・為光(参議、元輔より2年早く任官)、他にも実頼の子である頼忠(右大臣)・斉敏(参議)と既に忠平の孫世代では6人も公卿に列せられており、時平の系統はますます振るわなくなっていた。
天延2年(974年正四位下に叙せられるが、翌天延3年(975年)10月17日卒去享年60。最終官位は参議治部卿正四位下兼美濃権守享年59。この後、時平の男系子孫で公卿に昇った者はなく、元輔が時平流で最後の公卿となった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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