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藤原 光継(ふじわら の みつつぐ、? - 暦応元年/延元3年(1338年)は、鎌倉時代から室町時代にかけての公家。藤原光泰の次男。葉室家庶流堀川家。葉室光俊の曾孫にあたる。従二位、権中納言、信濃守。 蔵人頭兼宮内卿を経て、嘉暦3年(1328年)9月23日参議に任じられる。後醍醐天皇の隠岐島配流後は光厳天皇に仕え、再び後醍醐天皇に仕えた。元弘3年(1333年)雑訴決断所の構成員となる。建武2年(1335年)8月、中先代の乱鎮圧後の信濃国に国司(信濃守)として下向。鎌倉で朝廷に反旗を翻した足利尊氏に対し、東海道・東山道両道に約1万騎の大軍が発せられると2000騎を率いて合流し大井城を攻め落とした。後醍醐天皇の京都逐電に伴い解官。その後も後醍醐の近江国坂本の陣に参陣するが、暦応元年/延元3年(1338年)2月、南都合戦で南朝方の北畠顕家の軍勢と戦い敗死した。 == 関連項目 == *公家大将 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「藤原光継」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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