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藤本 主税(ふじもと ちから、1977年10月31日 - )は、山口県出身の元プロサッカー選手(MF)。元日本代表。サッカー指導者。中学・高校時代を徳島で過ごしたことから、ゴールを決めると阿波踊りのパフォーマンスをすることで有名だった。 ==来歴== 徳島市立高等学校を卒業後、1996年にアビスパ福岡へ入団、同年プロデビューした。その後順調に成長し主力として活躍、1998年12月には語り草となる"J1参入決定戦"での川崎フロンターレとの激闘を経験したメンバーの一員でもある。当時の福岡はMF陣に中払大介、石丸清隆、久永辰徳、久藤清一等の好人材がひしめき、年俸を減額提示されるなどチーム側の評価も高くなかったことから、移籍を決意。真っ先に獲得の意思を伝えたサンフレッチェ広島へ1999年に移籍した。その後、すぐにレギュラー獲得、久保竜彦とのコンビでチームを牽引し、チームの天皇杯準優勝に貢献。2000年のシドニーオリンピックでは、予選には出場したものの本大会への選出はならず。 2002年、日本代表に招集され出場機会を与えられるも活かせず、最終的に日韓W杯への出場はならなかった。その夏に代表を目指すため海外移籍を決意、オランダリーグのNACブレダへの移籍がほぼ決定したが、最終交渉でNAC側は経営悪化から移籍金を3年間にわたっての分割払いを要求してきたため広島が拒否し、結局移籍交渉がまとまらなかった〔 2002年7月7日付中国新聞〕。その年の後半戦は移籍するものと考えられていたためチームの構想外となり、さらにコンディションを崩したため出場機会が減少した。そのシーズン、結局広島はJ2降格となった。 翌2003年、ズデンコ・ベルデニックが獲得を熱望し、名古屋グランパスエイトへ移籍。しかしチームの調子が上がらない上、自身も攻撃的なポジションを任されながら得点に絡むことが少なく、次第に出場機会が減っていった。2004年、経営元が「楽天」に変わり、積極的に戦力補強を行っていたヴィッセル神戸へ完全移籍。 2005年には大宮アルディージャへ移籍。豊富な運動量と鋭い攻撃で中盤の主力として活躍した。なお、2007年および2009年6月〔 2009年6月1日付 大宮アルディージャ 公式サイト〕 から2011年まで、大宮のキャプテンをつとめていた。2011年11月29日、契約満了に伴い、大宮との来シーズンの契約を更新しないことが発表された。 2012年にロアッソ熊本へ完全移籍、チームの主将となる。第2節ホーム鳥取戦で約3年振りのゴールを決めるも、その後膝の悪化により長期離脱となった。第22節ホーム千葉戦でベンチ入りし復帰、終盤までスタメンとしてチームを引っ張った。2014年限りで現役を引退〔藤本主税選手、現役引退のお知らせ ロアッソ熊本 (2014年10月7日)〕。 2015年よりロアッソ熊本ジュニアユース(U-15)の監督に就任した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「藤本主税」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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