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蜂須賀 綱矩(はちすか つなのり)は、阿波徳島藩の第5代藩主。 == 生涯 == 蜂須賀隆矩(徳島藩第2代藩主・蜂須賀忠英の四男)の長男。母は紀州藩士・松平宣助の娘お七。初名は龍之(たつゆき)。 延宝6年(1678年)、従兄の第4代藩主・蜂須賀綱通が実子なくして亡くなったため、その養子という形をとって第5代藩主となる。慣例により、綱通と同様、第4代将軍・徳川家綱の偏諱を受けて綱矩(「矩」は実父・隆矩の1字)と改名する。同年、伯父の蜂須賀隆重に5万石の分知を与えて名東郡富田(徳島市内)に阿波富田藩を立藩させている。延宝8年(1680年)5月8日に家綱が死去したが、先代の頃から預かっていた堀田正信が5月30日に殉死、責任を問われて7月19日に第5代将軍・徳川綱吉から閉門を命じられた。11月27日には閉門を免ぜられた。 なお、綱矩の代には初代以来不通であった福岡藩黒田家と和解している。 長命であり多くの子をもうけたが、嫡男・吉武には夭折され、支藩阿波富田藩の蜂須賀隆長のもとに養子に出ていた四男・宗員を呼び戻して嗣子としている。享保13年(1728年)隠居し、家督を宗員に譲った。享保15年(1730年)死去。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「蜂須賀綱矩」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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