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阪急西宮スタジアム(はんきゅうにしのみやスタジアム、''Hankyu Nishinomiya Stadium'')は、かつて兵庫県西宮市にあった、阪急電鉄(法人としては現在の阪急阪神ホールディングス)が所有していた多目的スタジアム。阪急神戸線西宮北口駅前にあった。通称及び旧名称は阪急西宮球場(はんきゅうにしのみやきゅうじょう)。 == 概要 == 日本初の二階建スタンドと全面天然芝のグラウンドを持つ野球場として、シカゴのリグレー・フィールドなど当時のMLBの諸球場を参考に設計された。当初の計画では西宮北口駅と球場入口を直結する計画であったが用地買収が果たせず、一面水田であった現在地に1936年に起工、わずか5ヶ月の突貫工事で完成し、翌1937年に開場した。 すぐ南の阪神甲子園球場に対抗して造られた阪急西宮球場は、日本初の鉄傘付き二階席の他、当時としては異例の背付き椅子を備えた内野席、5万7千人収容の観覧席の傾斜角度をどこから見ても本塁に合わせるなど工夫され、その後長く「行きよい、見やすい」というキャッチフレーズが使われた。また、浴場など選手用施設、記者室、郵便局、当時では珍しかった男女別トイレなど内部施設も充実しており、広い敷地と併せて最新・最高の設備を備えた球場であった〔参考文献「町名の話 -西宮の歴史と文化- 」〕。設計は、当時の阪急関連の建物の多くを担当した阿部美樹志が手掛けている。 阪急電鉄が所有していたプロ野球チーム『阪急ブレーブス』の本拠地(フランチャイズ)として阪急の主催試合が開催された。それ以外に、競輪場として競輪開催(「西宮競輪場」で詳述)、アメフトの試合、コンサートなど様々なイベントで使用されており、まさに“多角経営”の先駆けとなった野球場である。 阪急電鉄が球団を譲渡したオリックスがフランチャイズを移転した後の1991年に「多目的スタジアム」であることを標榜し、「阪急西宮スタジアム(はんきゅうにしのみやスタジアム)」へ改称。 1949年までの1リーグ時代は同じ西宮市内にある阪神甲子園球場と共に関西のプロ野球興行の中心だったが、セ・パの2リーグに分裂した1950年以後は阪急がパ・リーグ、甲子園を本拠地とする阪神タイガースがセ・リーグとそれぞれ別のリーグに所属したことに加え、フランチャイズの影響もあって、当球場での公式戦は阪急主催のパ・リーグの試合のみが行われる状態が続いた。前述のオリックスのフランチャイズ移転があった1991年に甲子園を夏の高校野球に明け渡した阪神が2リーグ分裂から42年目にして初めてセ・リーグの公式戦を行った。なお、1996年にプロ野球の公式戦を最後に行ったのも阪神である(後述)。 その後はアメフトと競輪開催が主となったが、人工芝の劣化によりアメフト開催も減少し、西宮競輪廃止が追い討ちとなり、球場自体の老朽化と経営難から2002年末を以て閉鎖。2004年9月1日から2005年にかけて取り壊された(「歴史」で詳述)。 跡地には、スタジアム敷地を含めた周辺再開発により、2008年11月に大型複合商業施設「阪急西宮ガーデンズ」が開業した。「ガーデンズ」内の「阪急西宮ギャラリー」には、1983年当時の本球場のジオラマ模型が展示されている。 File:Hankyu-Nishinomiya-Stadium-2.jpg|グラウンド File:Hankyu-NishinomiyaStatium-2.jpg|在りし日の正面付近 File:Nishinomiya stadium.jpg|スタジアム解体後(西側より) File:Hankyu-Nishinomiya-stadium2005.12.18.JPG|スタジアム解体後(南側より) File:阪急西宮スタジアム模型 (1).JPG|1983年頃の阪急西宮スタジアムを再現した模型(ライト側より) File:阪急西宮スタジアム模型 (2).JPG|1983年頃の阪急西宮スタジアムを再現した模型(レフト側より) File:阪急西宮スタジアム模型 (3).JPG|1983年頃の阪急西宮スタジアムを再現した模型(ホームベース側より) 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「阪急西宮スタジアム」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Hankyu Nishinomiya Stadium 」があります。 スポンサード リンク
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