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西村 公朝(にしむら こうちょう、1915年(大正4年)6月4日 - 2003年(平成15年)12月2日)は、仏師・仏像修理技師・僧侶・東京芸術大学名誉教授。勲三等瑞宝章。 == 経歴 == 大阪府高槻市生まれ。1935年、東京美術学校(現東京芸術大学)入学。彫刻科木彫部で現代彫刻家を志す。4年生の時、同校の古美術研究旅行で京都・奈良をまわり、法隆寺・夢殿の救世観音に感激。1940年卒業し、いったんは大阪の私立中学(旧制)の図画教師となるが、年末には退職。1941年美術院国宝修理所に入所、仏像修理の道に入る。京都・三十三間堂で十一面千手観音千体像の修理に参加していた。 1942年、召集され中国各地を転戦し、このとき何千体何万体もの壊れた仏像が修理を求めるような表情で夢に現れたという。1945年に復員、三十三間堂での修理に復帰し、以降、仏師・仏像修理技師としての修行を積む。1951年に37歳(数え年)で得度、天台宗の僧侶ともなる。1955年京都・愛宕念仏寺の住職となり、同寺の復興に当たる。1959年美術院国宝修理所所長、1967年東京芸大助教授、1974年教授、86年定年退官、名誉教授、関西女子美術短期大学教授、1986年退職。 仏像修理技師、仏像研究者、僧侶としてばかりでなく、一般向けの仏像解説書の執筆にまで及ぶ。2000年から始まった清水寺の新しい行事「青龍会」では、監修を務めた(衣装デザインはワダエミ)〔〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「西村公朝」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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