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西村 祥治(にしむら しょうじ、1889年(明治22年)11月30日 - 1944年(昭和19年)10月25日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。秋田県出身。 == 来歴 == 旧制秋田中学校(秋田県立秋田高等学校の前身)から旧制横手中学校(秋田県立横手高等学校の前身)を経て、海軍兵学校入校(39期)。西村は水雷畑の提督で見張りの神様の異名があった〔『連合艦隊の栄光』第九章〕。太平洋戦争の開戦を第四水雷戦隊司令官として迎えたが、護衛の任にあたっていた輸送船団を4隻撃沈される被害を受けた(バリクパパン沖海戦)〔『日本海軍 失敗の本質』第三章〕。 1944年(昭和19年)10月のレイテ沖海戦に第一遊撃部隊第三部隊司令官として参戦。10月25日西村部隊のみでスリガオ海峡に突入し、米軍にT字で迎え撃たれた〔『太平洋海戦史』第七章〕。部隊は駆逐艦1隻を除いて全滅し、西村も戦没。後続の志摩清英率いる第二遊撃部隊も撤退を余儀なくされた。バリクパパン沖海戦での指揮と相俟って米国からは辛辣な評価を受ける。ただし日本側では西村に好意的な評価があり、特に小沢治三郎は西村について「レイテで本当に真剣に戦ったのは西村だけだった。」〔半藤『指揮官と参謀』「小沢治三郎と栗田健男」〕、「西村は私心のない智勇兼備の指揮官である。」とも語っている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「西村祥治」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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