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譚政(たん せい)は、中華人民共和国の軍人、政治家。中国人民解放軍の大将。本名は譚世名、字は挙安。 主として、政治委員(政治将校)として軍隊の政治工作を担当した。1960年代に左遷されたが、文化大革命終結後に復権し、名誉回復された。 == 略歴 == 小学校の教員として働きつつ、反帝愛国運動に参加した。1927年2月、国民革命軍第4方面軍総指揮部特務営(大隊)に入隊し、文書、書記を務めた。同年9月、湘贛辺秋收起義に参加し、10月、中国共産党に入党した。 土地革命戦争時、中国工農紅軍第4軍の前敵委員会秘書、第31団(連隊)党委員会秘書、中共第4軍軍事委員会秘書長、第4軍政治部訓練部部長、第12軍と第22軍の政治部主任、第1軍団第1師政治委員、第1軍団政治部組織部部長等を歴任した。漳州戦役、南雄水口戦役、中央ソビエト区の反「囲剿」、長征に参加した。1929年の中共第4軍第9次代表大会(古田会議)参加後、無産階級思想による軍隊建設を堅持した。戦時の政治工作を重視し、「新田夜間戦闘政治工作」、「高興圩以北戦闘政治工作」等の報告書を作成した。1936年3月、「紅軍の新しい歴史時期の政治工作に関する意見」を執筆。同年、中国人民抗日紅軍大学で学ぶ。 日中戦争時、中共中央革命軍事委員会総政治部副主任、陕甘寧晋綏連防軍副政治委員兼政治部主任、留守兵団政治部主任を歴任した。王稼祥等と共に政治工作を担当し、「八路軍軍政雑誌」上で多数の文章を発表した。1944年4月、中共中央の委托を受け、中共西北局高級幹部会議上において、「軍隊政治工作問題に関する」報告を行い、古田会議の決議に基づき、軍隊政治工作の原則等を論述した。彼が起草したこの報告は、毛沢東、周恩来等の修正を経て、中共中央拡大書記処会議で批准され、全党・全軍の各級幹部の教材となった。1945年6月、中共第7回中央候補委員に選出。 国共内戦時、東北民主連軍政治部主任、第4野戦軍政治部主任、副政治委員を務め、遼沈、平津等の戦役の政治工作を指導した。 中華人民共和国建国後、中南軍区兼第4野戦軍副政治委員兼政治部主任、中南軍区第三政治委員、総政治部副主任、主任、国防部副部長、中国共産党中央軍事委員会常務委員を歴任した。1955年、大将の階級を授与される。1956年、中共第8回中央委員、中央書記処書記に選出。 1961年1月、林彪に迫害され、中央軍事委員会常務委員、中央書記処書記等の職務を剥奪された。1965年11月、福建省副省長。1975年8月、中共中央軍事委員会顧問に任命。1979年3月、中共中央、中央軍事委員会により名誉回復(平反)。1988年7月、一級紅星功労栄誉章を授与される。同年11月6日、北京で死去。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「譚政」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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