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谷山浩子 : ミニ英和和英辞書
谷山浩子[たにやま ひろこ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [やま]
 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point 
: [こ, ね]
 (n) first sign of Chinese zodiac (The Rat, 11p.m.-1a.m., north, November)

谷山浩子 : ウィキペディア日本語版
谷山浩子[たにやま ひろこ]

谷山 浩子(たにやま ひろこ、本名:中西 浩子(なかにし ひろこ)、1956年8月29日 - )は、シンガーソングライターである。

東京都杉並区高円寺で生まれ、神奈川県横浜市で育った。お茶の水女子大学附属高等学校を卒業し、ヤマハミュージックアーティストに所属した(2007年8月1日にヤマハ音楽振興会から移籍)。現在のレコード会社は、ヤマハミュージックコミュニケーションズである。
== 略歴 ==
中学校時代にキングレコードに曲の持ち込みを始め、ベイビーブラザーズ(後のフィンガー5)のシングル『白い天使』(1970年11月20日発売)のB面に『僕たちの秘密』が採用される。当時、14歳だった。
本来は作曲家志望であり、自分で歌うことは想定していなかったが、キングレコードのディレクターから「自分で歌うのならLPを出してやる」と言われ、ピアノを弾きながら歌うスタイルでレコーディングが行われた。そして、1972年4月25日、アルバム『静かでいいな 〜谷山浩子15の世界〜』とシングル『銀河系はやっぱりまわってる』をリリースし、最初のデビューを果たす。その年、NHKの『ステージ101』のレギュラーとなる。
1974年第7回ポピュラーソングコンテストで『お早ようございますの帽子屋さん』が入選し、翌1975年2月10日キャニオン・レコードからシングルリリースし、2度目のデビューをした。そして、1977年、シングル『河のほとりに』で正式にデビュー。本人は「デビューが3回ある」と語る。
独特の幻想的作風を特徴としていて、現実離れした内容の歌詞が多い。また、自らも幻想的小説を多数執筆していて、それと同名の歌を作るなど、ひとつの世界観に裏打ちされた作品作りが特徴である。
NHKの『みんなのうた』で放送された曲も多く『恋するニワトリ』『まっくら森の歌』『しっぽのきもち』などがよく知られている。これらの作品を幼少時から視聴していた人々からの根強い人気もあり、『みんなのうた』の特番が組まれると決まって取り上げられる。
1981年のアルバム『時の少女』から3作に渡って橋本一子が主な編曲を担当し、その際に知り合ったのが石井AQである。石井AQは1985年のアルバム『眠れない夜のために』をプロデュースし、以降現在に至るまでほとんどのアルバムのプロデュース、編曲、ライブのサポートを行っている「相棒」である。
1987年から2001年までは、一般の個人・団体が主催者となる『101人コンサート』を全国各地で行った。収容人数が100~300人程度の「電気と屋根がある」場所ならどこでもというコンセプトで、シンセサイザーの石井AQとの2人で行われていた。これのスペシャルバージョンが毎年秋(1994年 - 2001年は隔年)青山円形劇場で行われていた。これらを含め、14年間で300公演以上が行われた。
2002年以降は、青山円形劇場公演に代わるものとして『猫森集会』が新宿全労済ホールスペース・ゼロで公演され、全国をまわるピアノソロツアー「谷山浩子ソロライブ」が行われている。なお、従来ファンクラブのイベントの名称として『ねこ森集会』が使われていたが、こちらは『ねこ森集会 Limited』と改称している。
多少ひとに知られている曲があっても大ヒット曲はなく、売れない歌手を自認しているが、その中で唯一ヒットチャートにのぼったのは斉藤由貴への提供曲である。1980年代中盤に、『土曜日のタマネギ』『MAY』(両曲とも作詞を担当)などがヒットした。
また、初代PC-8001の時代からパソコンに触れているというパソコンマニアとしても知られており、『Oh!FM』→『Oh!FM TOWNS』(日本ソフトバンク)、『PCfan』(毎日コミュニケーションズ)など複数のパソコン誌でエッセイを長期にわたり連載していた。1989年には『コンプティークソーサリアンシナリオコンテスト』の審査員、1992年には、『パソコンアート・コンテスト』(主催:日本電気)の審査員を務めたことがある。またPC-9801用のアドベンチャーゲーム「TADL」にも関わっている。インターネット時代になって以降も、ブログや動画サイト、ツイッターなどを趣味及び歌手活動に積極的に利用している。
アニメーション関連の作品では、宮崎駿監督のテレビアニメ『未来少年コナン』の劇場版が製作された際にテーマ曲を提供している(歌唱は研ナオコ)。またスタジオジブリ制作の『ゲド戦記』挿入歌、『コクリコ坂から』挿入歌など、宮崎吾朗監督作品にも関わっている。
なお、1997年4月から約2年間、ヤマハ音楽振興会の関連会社でファンクラブの運営や物販事業など営利事業を行っていた株式会社常磐に所属事務所を移籍していた。2000年ヤマハによってヤマハミュージックコミュニケーションズが設立された際、中島みゆきらと共に同社へと移籍する。
2012年~2013年にはデビュー40周年として、以前からライブのゲストとして出演することが多かったROLLYとの共作でアルバムを発表、東京の東京国際フォーラムと大阪のサンケイホールブリーゼでの特別公演、谷山浩子40周年記念百科全書の発売、オールナイトニッポンモバイルの開始、オールナイトニッポン45周年記念45時間スペシャルへの出演など様々な企画が行われた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「谷山浩子」の詳細全文を読む




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