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谷村 智啓(たにむら ともひろ、1947年8月3日 - )は、兵庫県西宮市出身の元プロ野球選手(投手)。旧名「智博」。 == 来歴・人物 == 報徳学園高校ではの夏の甲子園兵庫県予選決勝に進出。育英高のエース鈴木啓示と投手戦の末、0-1xでサヨナラ勝ちし、夏の甲子園に出場。この大会では2完封を記録し、準々決勝に進出するが、優勝した三池工の上田卓三と投げ合い、延長10回2-3xでサヨナラ負けした〔「全国高等学校野球選手権大会70年史」朝日新聞社編 1989年〕。1年下のチームメートに捕手兼一塁手、五番打者の荒武康博がいる。 卒業後は関西学院大学へ進学。関西六大学リーグでは秋季リーグで優勝を経験。リーグ通算60試合に登板し、20勝25敗、防御率1.67、179奪三振の成績を残した。その後は鐘淵化学に進み、の都市対抗では2勝をあげ準々決勝に進出。サッポロビールに敗退する〔「都市対抗野球大会60年史」日本野球連盟 毎日新聞社 1990年〕が、同年の社会人ベストナインにも選出される。 同年のドラフト1位で阪神タイガースに指名され、翌年入団。エースナンバー18が与えられる。当時はタコ踊りといわれる風変わりな投球(ワインドアップと同時に左足を高く上げ、右腕をいったん下ろさずにそのまま投球する)を見せ話題になった。プロ2年目のには11勝を挙げオールスターゲームにも出場した。にはパームボールを取得。に安仁屋宗八に背番号18を譲り、15へ変更。この年、12勝を挙げた以降はめざましい活躍もなく、オフに鈴木弘規との交換トレードで阪急ブレーブスに移籍。には13試合に先発し、リリーフとしても活躍して7勝をあげる。その後も息長く選手生活を続け、現役最後の登板となった10月14日の対近鉄戦で先発。9回をリチャード・デービスのソロ本塁打のみの1点に抑えて2-1で勝利。最終登板を完投勝利で飾った。 王貞治に600号本塁打、大杉勝男に1500本安打、宇野勝にプロ入り初本塁打、野村克也に現役最後の本塁打を打たれた投手である。 引退後は、長きに渡って阪急・オリックスのフロントに従事し、スカウトや編成部長等も歴任した。からにオリックス二軍投手コーチを務め、からは再びスカウト業務を務めた。スカウトとして獲得した選手に田口壮がいる。 からは、ベースボール・チャレンジ・リーグの福井ミラクルエレファンツで投手コーチを務める。のシーズンを最後に勇退した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「谷村智啓」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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