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谷澤 達也(やざわ たつや、1984年10月3日 - )は静岡県志太郡大井川町(現・焼津市)出身のサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー(MF)。 == 来歴 == 元々野球好きであったが、親の負担を考え、3歳年上の兄を追って小学4年生からサッカーを始めた。中学時代はEWS・FCに所属し、同学年の成岡翔とともに、1年生から主力として活躍した〔週刊サッカーダイジェスト「日本列島ルーツ探訪」第16回 2009年3月24日号 28頁-31頁〕。2000年に静岡学園高校へ進学。2、3年次に全国高校サッカー選手権に出場し、2年次にはベスト16へ進出。高校の1学年上には永田充、同学年には安藤淳、1学年下には狩野健太、小林祐三、松下幸平、横山拓也ら。谷澤が背負った背番号10は狩野へと引き継がれた〔【J2日記】町田:“静学の10番”先崎勝也が全体練習に合流。現在センターバックに挑戦中 J's GOAL (2012年5月31日)〕。 2003年に高校を卒業し、Jリーグ・柏レイソルへ入団。1年目から出場機会を得て同年5月の第9節横浜FM戦でJリーグ初得点を記録。同年10月にA契約を締結した〔谷澤 達也選手 プロA契約へ 柏レイソル (2003年10月31日)〕。また同年にはU-20日本代表としてFIFAワールドユースに出場。大熊清監督からはスーパーサブを任され、前線での巧みなボールキープで〔ワールドユース現地リポート(10)大熊さい配ズバリ的中 堅守と一瞬のスキを突くゴールで1位通過 (後編) スポーツナビ (2003年12月6日)〕 劣勢の流れを変え〔ブラジル戦後 大熊清U-20日本代表監督会見 (2/2) スポーツナビ (2003年12月13日)〕、2アシストを記録。ベスト8進出を果たした。2006年は柏のJ2降格に伴う戦力再編もあって、大幅に出場時間を伸ばし1年でのJ1復帰に貢献。同年入籍〔谷澤達也選手入籍のお知らせ 柏レイソル (2006年10月27日)〕。J1に昇格したチームでは果敢にドリブルを仕掛け攻撃のアクセントとなったが〔 WEBサッカーマガジン (2007年8月3日)〕 好不調の波が大きく、シーズン通してのレギュラーを確保することはできなかった。 2008年、ジェフユナイテッド市原・千葉へ完全移籍〔谷澤 達也選手 ジェフユナイテッド市原・千葉へ完全移籍 柏レイソル 2008.1.17〕〔谷澤 達也 選手の加入について ジェフユナイテッド市原・千葉 (2008年1月17日)〕。自身初の移籍によって結果を求める貪欲さが磨かれ〔千葉土壇場谷沢弾で連勝磐田に2差 / J1 日刊スポーツ (2008年9月21日)〕、右サイドハーフのレギュラーとして定着。優れた攻撃センスと相手の意表を突くボールコントロールを武器に7得点6アシストを記録した。特に2008年J1最終節・FC東京戦では、0-2でリードを許す展開から出場すると、2得点1アシストの活躍でチームの逆転勝利・逆転残留の立役者となった〔2011シーズン始動! ニューカマー・レコメンド J's GOAL (2011年2月15日)〕。2009年にはチーム2位タイとなる32試合に出場するも、奮戦実らずJ2降格を喫した。 2011年、大熊が指揮を執るFC東京へ完全移籍〔谷澤達也 選手の移籍について ジェフユナイテッド市原・千葉 (2011年1月7日)〕〔 FC東京 (2011年1月7日)〕。決定機を逸する場面も見られたが〔谷沢 狙うぞ 汚名返上弾 東京中日スポーツ、2011.07.24〕、ペナルティーキックの獲得や〔【試合詳報】PK獲得職人・谷沢“アシスト” 草津に快勝 首位キープ vs草津 東京中日スポーツ、2011.08.14〕リーグ最多のアシストなど得点に絡むプレーでチームの優勝に貢献した。2012年も攻撃的MFに負傷離脱者が相次ぐ中でも安定して出場を続けていたが〔選手出場記録 FC東京 2012Jリーグ ディビジョン1 Jリーグ〕、同年半ばに古巣・千葉からJ1昇格のための“切り札”として熱烈なオファーを受ける〔谷沢が千葉へ完全移籍 東京中日スポーツ (2012年8月14日)〕。FC東京にとっては主力の一角をシーズン途中で失うため痛手ではあったが、谷澤の加入以来の継続した貢献を認め、本人の意思を尊重する形で移籍を容認〔愛情ある言葉で谷澤を送り出したF東京・ポポヴィッチ監督 ゲキサカ (2012年8月4日)〕。谷澤自身も千葉をJ2に降格させたさせたまま退団したことに悔いを残していたことから〔「結果を出す」と決意 谷沢がチームに合流 千葉日報 (2012年8月16日)〕移籍を決意。 2012年8月、千葉へ完全移籍〔谷澤達也選手 ジェフユナイテッド千葉へ完全移籍のお知らせ FC東京 (2012年8月13日)〕〔谷澤達也選手の加入について ジェフユナイテッド市原・千葉 2012.08.13〕。変幻自在で予想の付かないプレーぶりは健在で〔まさに痛み分け=犬の生活2012 VOL.13 J2第35節 千葉 2−2 東京V スポーツナビ (2012年9月24日)〕 すぐにレギュラーへ定着。2013年は攻守の連携がかみ合わないチーム状況に併せ、周囲に気を配りバランスを取るプレーを見せたが〔【NON STOP J2】-J2のススメ- 谷澤達也 (千葉) J's GOAL (2013年6月4日)〕、これが奏功せずリーグ戦終盤は不調に陥り 控えへ追いやられた〔選手出場記録 (2/3) , (3/3) Jリーグ (2013年11月24日)〕。2014年、FC東京在籍時以来着用していた背番号「39」を「8」へと変更。主に左サイドハーフに入り攻撃の生命線として〔4年間昇格を阻んだ千葉の“性格”。「関塚効果」はJ1復帰をもたらすか。 Number web (2014年12月5日)〕 リズムを作り、チームを勢い付けた〔出場停止明けでチームを変えた千葉MF谷澤「バランスを考えた」 ゲキサカ (2014年7月30日)〕。 2016年1月11日、J2町田ゼルビアへ期限付き移籍が発表された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「谷澤達也」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Tatsuya Yazawa 」があります。 スポンサード リンク
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