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近衛上奏文(このえじょうそうぶん)は、太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)2月14日に、近衛文麿が昭和天皇に対して出した上奏文。 == 背景 == 1945年1月6日、アメリカ軍がフィリピン・ルソン島上陸の準備をしているとの報を受けて、昭和天皇は内大臣木戸幸一に重臣の意見を聞くことを求めた。木戸は陸海両総長と閣僚の招集を勧め、また、近衛も木戸に斡旋を求めていた。木戸と宮内大臣の松平恒雄とが協議し、重臣らが個々に拝謁することになった〔岡 (1966)、上巻 三一頁。〕。準備は木戸が行い、軍部を刺激しないように秘密裏に行われた〔藤田 (1987)、43頁。〕。表向きは重臣が天機を奉伺するという名目であり、木戸が残した日記にも本来の目的は記されていない。 重臣らは以下の順で昭和天皇に意見を述べた。重臣の内、米内光政(海軍大臣)、阿部信行(朝鮮総督)は現職にあるため召集されていない〔藤田 (1987)、73頁。〕。 * 2月7日 - 平沼騏一郎 * 2月9日 - 広田弘毅 * 2月14日 - 近衛文麿 * 2月19日 - 若槻禮次郎 * 同日 - 牧野伸顕 (元内大臣) * 2月23日 - 岡田啓介 * 2月26日 - 東條英機 上奏の前、近衛は書き上げた「近衛上奏文」を持って吉田茂邸を訪れた。吉田もこれに共感し、牧野伸顕にも見せるために写しをとったが、吉田邸の女中とその親類を名乗る書生はスパイであり、写しが憲兵側に漏れたために吉田は拘引され、その他近衛周辺の人物も次々と、近衛を取り締まる布石も兼ねて取調べを受けることとなる。2人のスパイは、吉田拘引後は近衛邸の床下に入り盗聴を行っていたという。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「近衛上奏文」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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