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迫川尚子 : ミニ英和和英辞書
迫川尚子[さこかわ なおこ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [かわ]
 【名詞】 1. river 2. stream 
: [なお]
  1. (adv,conj) (uk) furthermore 2. still 3. yet 4. more 5. still more 6. greater 7. further 8. less 
: [こ, ね]
 (n) first sign of Chinese zodiac (The Rat, 11p.m.-1a.m., north, November)

迫川尚子 : ウィキペディア日本語版
迫川尚子[さこかわ なおこ]

迫川 尚子(さこかわ なおこ)は、種子島生まれの写真家写真への旅 迫川尚子編 '09.3.15 〕。新宿駅東口ルミネエスト地階にあるパブカフェビア&カフェBERGの共同経営者であり、同店で副店長を務める。本人はベルクが本業であるとしている。写真家としての代表作は『日計り』(ひばかり)。
== 概要 ==
鹿児島県種子島生まれ。名古屋熱海東京など親の転勤によって各地に移り住んだ経験を持つ〔楽天ブックス『日計り』〕。小学生時代からのココ・シャネルへの憧れから、人間立体造形を学ぶため女子美術大学短期大学部造形科衣服デザイン教室を卒業〔2008年度女子美術大学同窓会企画展「PHOTO + GRAPH 展 -光の描画-」展覧会概要 - 作家紹介〕。その後テキスタイルデザイナーとして子供服製造会社で約4年働いた頃、田島征三の絵本『しばてん』(偕成社、1971年)、長谷川集平の代表作とされる絵本『はせがわくんきらいや』(すばる書房、1976年)に出会い、絵本出版社へ転職を決めた〔女子美術大学広報誌『女子美』No.150「OGインタビュー -写真家 迫川尚子-」(2005年、PDFファイル)〕。
絵本出版社に在職中の1988年、弟のカメラを持って旅行した際、岩手種山ヶ原を撮影した瞬間に「何か得体のしれないものが入りこんでくるような感覚」〔、あるいは「自分が見ているだけでなく何かに見られているという感覚」〔写真集『日計り』「迫川尚子 プロフィール」(最終ページ)〕〔最新アート発見サイト≪ART at COM≫GAZER「迫川尚子写真集『日計り』」〕に襲われ、写真について考え始める。その後、写真家・東松照明の自費出版作品『日本』(1967年)に感銘して写真の表現力を知り、さらに写真学校・現代写真研究所(所長は写真家の英伸三)〔写真学校:現代写真研究所公式サイト〕の年次作品集の写真で、自らの写真観と異なる作品を発見。これを契機に絵本出版のかたわら四谷三丁目の同研究所第16期生として夜間のコースに4年間通った〔〔写真集『日計り』別冊付録 p.3〕。
撮影が面白いと自覚しはじめた頃、新宿駅東口マイシティ(現・ルミネエスト)にある、昼間は喫茶店で夜はパブを営業する「ビア &カフェBERG」の店長・井野朋也から、同店の共同経営の誘いを受け、当初は絵本出版の仕事に魅力を感じていたため一旦は断ったものの、写真撮影と同店の仕事を両立させようと考えて引き受けた〔。
ベルクは、脱サラした音楽好きの詩人・北野恭〔berg.jp: 『ベルク通信』 vol.15(1995年7月)「今は亡き詩人北野恭が、この地に・・・ベルクを開店した年から・・・」〕が名曲喫茶と銘打ち、もともと公衆電話が並んでいた新宿駅東口すぐの場所を改造し、アルコールを出さない純喫茶の店として1970年に開店した個人経営の喫茶店である〔LOVE! BERG! ~ビア&カフェ「ベルク」を応援しよう~: 「週刊金曜日〕。初代経営者の意向でシェーンベルクのベルクを店名とした〔「新宿区ダンボール絵画研究会 - ベルク」〕。初代経営者の息子・井野朋也は1990年に父親から経営権を受け継ぎ、セルフサービスのドイツ風カフェ兼パブに業種転換。迫川は経営者として同店の取締役副店長を務めている〔。
副店長とはいうものの、大手のドトールコーヒーなどのチェーン店とは異なり零細な個人店だったため、大手資本と対抗するため、食材探しや、店内の壁を利用した月替わりの写真展を開催するなど、店舗の形態から営業方針まで手がける。年中無休に近い「ビア&カフェBERG」の仕事をこなしつつ、ほぼ13年間、毎日店を抜け出して新宿の街の撮影を続ける間に、新しい東京都庁舎ができるなど街並みは変貌を遂げた。主に路地裏や裏道、新宿駅西口地下道にあったホームレスが住むダンボールハウス群(いわゆるダンボール村)や、ダンボールハウスに描かれた絵画など〔、〕、いわば新宿の陰の部分をひたすら撮り続ける。特にダンボール村は1996年1月24日早朝のテレビ番組で強制排除の報道に接して以後、毎日訪れて写真を撮影した〔新宿区ダンボール絵画研究会「第4回会合議事録『写真家・迫川尚子の視点 ~私が新宿地下道を撮った理由』」〕。迫川は、自らの店・ベルクを利用して写真展を開いている〔YouTube: ベルク展示MOVIE 〕。
迫川の写真を評価した現代写真研究所講師・写真家の金瀬胖(かなせ ゆたか)に勧められ、ダンボール十箱分撮り貯めた作品から写真集『日計り Shinjuku,day after day 迫川尚子写真集』(新宿書房)を発表〔作品二点@現代写真研究所公式サイト〕。同じ題材の作品『新宿』(月曜社、2002年)を発表していた写真家・森山大道に挨拶に出向き、「帯紙」のキャッチコピーを依頼している。
写真集『日計り』について、写真評論家の飯沢耕太郎は迫川を評して、「光の微妙な変化に鋭敏に感応する体質」だと述べ、新宿の街や人の描写が季節感や街の手触りを捉えた作品だと評価したが、これに対し迫川は「私自身、狙っているのは、実は、光なのかも知れないと思うこともあります」と述べている〔。また迫川は利き酒師(?酒師)の資格を持っており、写真家の英伸三は「魔物が潜んでいそうな新宿の街を軽やかなフットワークで自在に歩き回り、鋭い?酒師の感覚で、我が街として捉えた」〔写真集『日計り』別冊付録 pp.3 - 4〕、文芸評論家の?秀実は、写真集『日計り』が描写しているのは、「生活」や「労働」ではなく、「端的に『無為』であると言えよう」〔写真集『日計り』別冊付録 p.9〕とそれぞれ述べ、ブックデザイナーの鈴木一誌は?秀実に付け加え、迫川の路地を撮影した写真が「無為」であるとともに「間隙」ないし「透き間」、「あそび」と表現し、写真集『日計り』は、労働を迫川にしかにしかできないやり方で描いたことで、同じ新宿を題材にした森山大道の作品と「一線を画したと感じる」と分析している〔写真集『日計り』別冊付録 p.22〕。
迫川は、米国が行った2003年3月のイラク侵攻前夜に写真家・本橋成一の作品をベルクの入り口に掲げ、店として反戦の意思を表す側面を併せ持っている〔写真集『日計り』別冊付録 p.4〕。利き酒師のほかに、調理師、アートナビゲーターの資格も持っている〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「迫川尚子」の詳細全文を読む




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