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遠藤 賢司(えんどう けんじ、1947年1月13日 - )は、茨城県ひたちなか市出身・東京在住のシンガーソングライター・ミュージシャン。自称「純音楽家」。愛称は「エンケン」。 主に扱う楽器はアコースティックギター、エレクトリックギター、ブルースハープ。ほかにも、ウクレレ、ピアノ、ドラムなどの楽器を演奏する。自身のほぼ全ての楽曲の作詞、作曲も手がける。 「純音楽」をキーワードに活動。代表曲に、「夜汽車のブルース」「満足できるかな」「カレーライス」「東京ワッショイ」「不滅の男」「夢よ叫べ」などがある。好きな食べ物はカレーライス。猫好きで、歌詞中に猫の登場する楽曲も数多い。 == 来歴と作品 == === デビュー - 二十代(1970年代中期) === 茨城県勝田市(現ひたちなか市)に生まれ、県内各地を転々として育つ。茨城県立太田第一高等学校卒業後に上京。東京で浪人生活を送る中で聴いたFENから流れてくるボブ・ディランの「ライク・ア・ローリング・ストーン」に触発され、明治学院大学進学後に自身も歌とギターを始め、1960年代後半のフォークシーンで頭角を現すようになる。高田渡、南正人らと東京でアマチュアシンガーとして交流。 1968年8月、京都・山崎の宝寺で開催された「第3回フォークキャンプ」に初めて参加し、高石ともや、五つの赤い風船、加川良、ザ・フォーク・クルセダーズ、関西フォークの人々と知り合う。「君がほしい」「ほんとだよ」「外は雨だよ」を歌う。フォークキャンプがきっかけとなり、同年東京の高石音楽事務所に所属。 1969年、1970年、1971年の三度行われた中津川フォークジャンボリーに出演。この時期のライブ音源はライブコンピレーションアルバム『黎明期ライヴ』(1989年発表)などに収録されている。また、ジャックスや岡林信康のコンサートにゲスト出演するなど、日本のロック/フォークの歴史に名を残すアーティストらとの交流も、この時期からすでに始まっている。特にはっぴいえんどは、その前身であるヴァレンタイン・ブルー時代から遠藤のバックを務めている。 * 1969年、シングル「ほんとだよ/猫が眠ってる」で東芝エキスプレスよりレコードデビュー。「ほんとだよ」の編曲は木田高介。この曲は、ケルト音楽におけるリュート的音色の生ギターと、雅楽的アプローチのフルート、クラシック的アプローチのチェロをフィーチャーして録音された曲。「猫が眠ってる」はシタールに西岡たかし、タブラに加藤和彦が参加し、さらに早川義夫が鈴を鳴らしている。 * 1970年、1stアルバム『niyago』でURCからアルバムデビュー。バックにはっぴいえんどの細野晴臣・鈴木茂・松本隆らが参加している。「ほんとだよ」「猫が眠っている、NIYAGO」はシングルとは別バージョン。「夜汽車のブルース」は現在のライブにおいても最重要レパートリーのひとつとなっている。 * 1971年、ポリドールから2ndアルバム『満足できるかな』を発表。前作に引き続きバックを担当するのは細野晴臣、鈴木茂、松本隆である。本作収録曲の「カレーライス」がヒットした。また、本作にはこの他にもタイトル曲の「満足できるかな」をはじめ、「待ちすぎた僕はとても疲れてしまった」、「寝図美よこれが太平洋だ」、「ミルクティー」など、のちのライブでも演奏される機会の多い楽曲も多く収められている。 1971年には、NHK放映の佐々木昭一郎演出ドラマ『さすらい』に出演し、雨の降る中、無人の日比谷野外音楽堂で遠藤が「カレーライス」を歌う姿を披露している。また、このドラマには友川かずきも出演している。 * 1972年、「カレーライス」がシングルカットされる。10万枚のヒット〔富澤一誠『フォーク名曲事典300曲〜「バラが咲いた」から「悪女」まで誕生秘話〜』ヤマハミュージックメディア、2007年、149頁。ISBN 978-4-636-82548-0〕。これはアルバムとは別バージョンで、武川雅寛がバイオリンで参加している。同年、3rdアルバム『嘆きのウクレレ』を発表。細野晴臣、鈴木茂、林立夫、松任谷正隆、後藤次利、乱魔堂の洪栄龍、頭脳警察のトシ(石塚俊明)らが参加。ジャケット画はうらたのぶこによる。「猫と僕と君」(バックの後藤・林・松任谷は、小坂忠のバックを務めていたフォージョーハーフである)、「Hello Goodby」(バックの細野・鈴木・林は実質的にキャラメル・ママであり、この曲がキャラメル・ママとしての最初の録音ということになる)、トシがコンガで参加した「プンプンプン」、そしてベートーヴェンの第九に独自の詞をつけアコースティックギターの弾き語りでカヴァーした「歓喜の歌」(よろこびのうた)などを収録。「歓喜の歌」は2004年にBank Bandによってカバーされている。 * 1973年、ライブ・アルバム『歓喜の歌 遠藤賢司リサイタル』を発表。同年4月30日に東京の共立講堂で行われたライブを収録。このライブにはキャラメル・ママの細野晴臣・鈴木茂・松任谷正隆・林立夫をはじめ、駒澤裕城、武川雅寛、井上陽水(ギター)らが参加している。ライブタイトルにもなった「歓喜の歌」や「カレーライス」をはじめ、「待ちすぎた僕はとても疲れてしまった」、「ミルクティー」、「Hello Goodby」などを収録。 * 1974年、アルバム『KENJI』を発表。洪栄龍を中心とするシューティングスター、高中正義、深町純、ティン・パン・アレーのリズムセクションである細野晴臣と林立夫、山内哲、星勝らが参加。ジャケット画は横尾忠則による。先行シングル曲「踊ろよベイビー」などを収録。自身の宇宙観をテーマにしたコンセプト・アルバムである。ちなみに本作収録の「けんちゃんの宇宙旅行」をのちに曽我部恵一は「サイケの決定版」と評している。 * 1975年、ベスト・アルバム『Silver Star BEST OF KENJI ENDO』を発表。さらに同年CBS・ソニーに移籍し、アルバム『HARD FOLK KENJI』を発表。主にバックを務めるのは平野融と平野肇、前作に続き洪栄龍のスラッピージョーも参加。さらに、高中正義、村上秀一、土屋昌巳、斉藤ノブ、松任谷正隆、吉川忠英、矢野誠、矢野顕子など多数のミュージシャンが参加。先行シングル曲「遠い汽笛」などを収録。CBS・ソニーからのリリースは本作のみとなり、これ以後の数年間はライブ中心の活動となる。1976年、デビュー直後の太田裕美のコンサートにゲスト出演もしている。 1970年代のライヴは、春一番コンサート、ホーボーズコンサートなどの音源が多数残されている。また、他のミュージシャンのレコーディングにも参加しており、休みの国、高田渡、あがた森魚、かまやつひろしなどの作品でも、彼の演奏や歌を聴くことができる。 また、カレー好きが高じて1974年には渋谷の道玄坂にカレー店『ワルツ』を開店する。1977年、渋谷の明治通り沿いの地下に移転(1980年閉店)。ライブや映画上映会なども定期的に行う。ライスを三角錐型に盛った「ピラミッドカレー」が名物だった。また、「ラブラブカレー」はライス部分がハートの形をしたものだった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「遠藤賢司」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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