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鄭道昭 : ウィキペディア日本語版
鄭道昭[てい どうしょう]
鄭道昭(てい どうしょう、Zhèng Dàozhāo、? - 516年)は、中国南北朝時代北魏の官吏・書家。字は僖伯(きはく)、号は中岳先生。
六朝楷書の名手であり、鄭文公碑の作者として有名。無署名が普通であり、署名されていても無名の人物ばかりの南北朝時代の書家の中で、確実に名と伝が残されている数少ない書家である。
== 生涯 ==
道昭は父親の鄭羲が治めていた開封出身で、2人兄弟の次男であったという。鄭氏は北魏の貴族であり、羲が実際に正史『魏書』『北史』に「鄭羲列伝」として列伝が立てられているため、相当な名門の出であったことがうかがえる。
子供の頃から大変な勉強家であり、読書家で詩を愛したという。長じて朝廷に仕え、中書学に任じられた。その後秘書郎となり、進んで秘書丞と中書侍郎を兼任した。この時、沔漢(べんかん)征伐に参加し、その陣中の酒宴で孝文帝と詩の掛け合いを見事に演じてその秀才振りを見せつけた。
その後直散騎常侍、国子祭酒に累進。この頃、後漢代の「熹平石経」や曹魏代の「三体石経」の毀損を憂えるなど、学府や儒学に関する奏上を何度か行ったが聞き届けられず、そのまま秘書監・司州大中正を経て地方官となる。
以後、使節督光州諸軍事、光州刺史、青州刺史を歴任。最後は秘書監に復職し、熙平元年(516年)死去。享年は不明。死後、鎮北将軍・相州刺史を追贈され、文恭とが贈られた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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