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酒井 友之(さかい ともゆき、1979年6月29日 - )は、埼玉県三郷市出身の元サッカー選手。ポジションはミッドフィールダー(ボランチ、右サイドハーフ)。 == 来歴 == ジェフユナイテッド市原ユースに所属していた高校3年生の時に、初出場する。 1999年、ナイジェリアで行われたワールドユースにレギュラーで出場。準優勝に貢献。 2000年、シドニーオリンピックにレギュラーとして出場。2000年12月の対韓国戦では途中出場ながらA代表デビューを果たす〔。 シドニーオリンピックでは中村俊輔らと中盤を構成、酒井は右サイドで出場し、決勝トーナメントに進出。しかし、一回戦の対アメリカ戦で2-1の状況で試合終了直前に痛恨のPKを献上してしまう。これを決められ、最終的にPK戦の末、敗れた。 2001年、名古屋グランパスエイトへ移籍。 2004年、浦和レッドダイヤモンズへ移籍。浦和では同じポジションに、のちに日本代表でも中心選手となる長谷部誠や鈴木啓太がいたこともあり決して出番は多くなかったものの、彼らの欠場に得た出場機会でしっかりと仕事をするため、首脳陣やチームメイトの信頼は厚かった。中でも2004年11月6日に行われたJ1セカンドステージ第12節、対清水エスパルス戦の68分に挙げた同点ゴールは今でもサポーターの中で語り草になっている。その3日前に行われたナビスコカップ決勝でFC東京にPK戦の末に敗れ、この試合も前半に先制点を許し重苦しいムードが漂う中、酒井が左足を一閃したミドルシュートは相手DFに当たりゴールへ吸い込まれ、ムードが一変する。これで勢いに乗った浦和は84分に田中マルクス闘莉王が逆転ゴールを決めて勝利し、ステージ優勝に向けて貴重な勝ち点3を得る事となった。 2007年7月に出場機会を求めヴィッセル神戸へ完全移籍。しかし負傷が重なり出場機会を得られず、2008年オフに神戸から戦力外通告を受け退団。以降は手術をした腰のリハビリとトレーニングをしながら所属クラブを探し、2009年7月に静岡県社会人リーグ1部に所属する藤枝MYFCに加入したが、同年シーズン終了後に退団。 その後、無所属状態が続いていたが、2010年9月にインドネシアリーグのペリタ・ジャヤ(en)への加入が決まり、2011年2月末までプレーした。翌3月からは同リーグのペルセワ・ワメナ(en)に移籍することが本人のブログで報告された〔移籍!|酒井友之オフィシャルブログ 〕。 2011年11月、同リーグのペリシラム・ラージャ・アンパット(en)に移籍。2012年も引き続き、ペリシラム・ラージャ・アンパットでプレーすることが決定した。 2013年から、2部リーグのデルトラス・シドアルジョ(en)に入団したが、前半戦終了時の4月に退団した〔現状況。。 - 酒井友之オフィシャルブログ 2013年04月30日〕。 同年8月より現役引退し、古巣浦和のハートフルクラブのコーチに就任〔07年まで浦和所属の酒井がハートフルクラブコーチ就任 - ゲキサカ 2013年08月01日〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「酒井友之」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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