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鉄道車両の台車史(てつどうしゃりょうのだいしゃし)では、鉄道車両用台車の発達過程の概略を記述する。 == 前史 == 黎明期の鉄道車両の走り装置は、馬車の揺動防止機構を援用する所から出発していた。 これはイギリスにおける鉄道建設が1820 - 1830年代当時、同国で発達していた有料道路や有料運河と同列のものとして考えられ、旅客輸送については馬車の車輪だけを置き換えて軌道上を走行させるという運用形態がごく普通にとられていた〔この形態は1840年に、イギリス議会に設けられた委員会で鉄道上での旅客輸送を鉄道会社の独占的管理下に置くことが決議されるまで続いた。また、それ以後も馬車を平らな床のみを備える貨車に積載して旅客輸送を行う、今のピギーバックに近い輸送形態は各国で長く続いた。〕ことに一因がある。 馬車においては、かつては軸受が車体台枠部分に作り付けとなっていたが、後に重ね板ばねを用いて弾性支持することで乗り心地の改善が図られた。鉄道車両においても、車輪をフランジ付きの鉄道車両用車輪に置き換えただけで、後は車体を含め当時の最新技術である馬車の設計を踏襲し、あるいはそれどころか必要に応じて馬車の車体を車台部分から切り離して鉄道用車台に載せて客車として使用する、という輸送形態も一般に行われた。これらの事情から、最初期の客車から車体に作り付けではなく、当時の馬車に準じた軸箱と重ね板ばねによる軸箱支持機構で出発した。そのため、鉄道車両用台車は二軸車と呼ばれる、二つの輪軸と車体との間の位置関係が基本的に固定された最も原始的な構造で出発することともなり、輸送力増強の要請に対しては二軸車のままでの車体および軸距の延伸や、荷重増大に対処すべく一軸を二軸間に追加した三軸車によって対処された。これらの対処法もまた馬車の発達に倣って展開したもので、曲線通過に対する配慮に欠けていた〔もっとも、ボギー台車発明以前においては、これ以外に旺盛な輸送需要に対応する方策が存在しなかったのも事実である。〕。 このため、イギリスにおいては比較的長い車体に二軸あるいは三軸の輪軸を固定した客車が走行可能なように極力緩いカーブと直線を組み合わせ、地形的な障害等に対してはトンネル掘削と橋梁や築堤、高架橋の建設による立体交差化で対処する、現在の新幹線に近い平坦かつ良好な線形での建設を強いられることとなった。 しかも、車両の車体断面形状の最大値を規定する車両限界が馬車由来の小断面で策定された結果、イギリスの鉄道は以後も長く輸送力増強のたびに悩まされることともなった〔イギリスの鉄道が標準軌間でありながら狭軌が主体の日本の鉄道と同等かそれ以下の車体断面を強いられているにもかかわらず、早くから高速運転を実施出来ている理由はここにある。イギリスで初期に建設された路線群は、小断面のトンネルが多く既設設備の改築費用のあまりの膨大さゆえに輸送力増大を約束する車両限界拡大が阻まれ続け、それでいて建設から100年以上を経た地上施設のままでもその高規格設計ゆえに手直し無しでの200km/hを超える高速度運転が可能で、運行面からは大きな改修を要しない、という矛盾を抱えている。〕。 この方法論は既に都市圏が形成されていて確固たる輸送需要が期待でき、かつその建設に必要となる資金確保が容易であった当時のイギリスなどの先進工業国では容易であっても、鉄道建設そのものを社会的なインフラ整備や地域開発の基軸に据える、「開拓」の手段として展開しようとしていたアメリカ合衆国や、多くの植民地群においては、主として資金面の事情から実現が困難であった。特に、東海岸と西海岸と称される人口集積や産業振興が容易な2つのエリア間にロッキー山脈やアパラチア山脈をはじめとする急峻かつ巨大山脈が横たわっていて、技術的にもその方法論の援用が非現実的であったアメリカの場合、状況は非常に深刻であり、建設費削減(トンネルの回避)のために地形に従って急曲線や急勾配を許容せざるを得なかった〔その代償として建設費は当時のイギリスの一般的な例と比較して単位距離当たり約1/3となった。また、トンネルを回避することにより車両限界の拡大も可能になった。〕。このため、車軸が台枠に固定された二軸車・三軸車ではではその曲線通過特性故に車体長が著しく制限され、需要に見合った輸送力が提供出来ない、というジレンマを抱えることとなった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「鉄道車両の台車史」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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